清水谷石子
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清水谷 石子(しみずだに いわこ、1703年(元禄16年) - 1735年10月17日(享保20年9月2日))は、中御門天皇の典侍。父は権大納言の清水谷実業。藤原石子とも呼ばれる。権典侍局、民部卿典侍と称した。
権大納言の清水谷実業の娘として生まれる。1715年(正徳5年)に中御門天皇の典侍となり、1皇子(公遵入道親王)と3皇女(理秀女王・尊乗女王・周宮)を生む[1]。権典侍局、民部卿典侍と称される[1]。
1735年10月17日(享保20年9月2日)、死去。享年33[1][2]。墓所は京都府京都市の廬山寺。
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