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清瀬善三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

清瀬 善三(きよせ ぜんぞう、1833年6月26日(天保4年5月9日 [1][2])- 1912年明治45年)7月4日[3])は、明治期の醸造家、銀行家政治家貴族院多額納税者議員。幼名・秀吉[2]

経歴

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豊前国宇佐郡四日市村[4]大分県宇佐郡四日市村、四日市町を経て現宇佐市四日市)で醸造業・清瀬亀助の六男として生まれた[1][2]敷田年治(吉松伊勢守)から読書算術習字などを学んだ[5]。父からその優れた資質を見込まれ[5]、1855年(安政2年6月[注 1])に家督を相続した[1][2][4]

1856年(安政3年)四日市の宿役に就任[2][4]。その後、里掌、四日市村戸長を務め、1879年(明治12年)四日市村会議員に選出され、同町会議員、宇佐郡会議員なども務めた[2][3][4][5]

1897年(明治30年)共立四日市銀行を設立し取締役頭取に就任[1][2][3][4]。また本願寺四日市別院勘定役も務めた[1][2]。慈善事業にも資金を提供し[4][5]、大日本仏教慈善会財団評議員、日本赤十字社特別社員なども務めた[2]

1904年(明治37年)の貴族院多額納税者議員選挙で互選され[2][4]、同年9月29日[6]から1911年(明治44年)9月28日まで在任した[3]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「名士経歴談 大分県選出貴族院議員 清瀬善三君」『経済時報』第40号、17頁では安政3年。

出典

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第2版』1209頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『大宇佐郡史論』772-773頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』196-197頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『大分県歴史人物事典』182頁。
  5. ^ a b c d 「名士経歴談 大分県選出貴族院議員 清瀬善三君」『経済時報』第40号、17頁。
  6. ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。

参考文献

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  • 『経済時報』第40号、経済時報社、1905年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1908年。
  • 小野精一『大宇佐郡史論』宇佐郡史談会、1931年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。