清田文永
表示
清田 文永(きよた ふみなが、1910年-1982年)は、日本の建築家。
大分県佐伯市生まれ。早稲田大学理工学部卒業。逓信省、大日本航空株式会社勤務の後、株式会社 梓設計を創設。
「NHK放送センター・NHKホール」で日本建築学会賞・建築業協会賞を受賞。
戦後の焼け野原の中で「梓」の社名の由来となる「におやかで、おおらかで、怒りを含んでいる」建築を目指し、事務所を立ち上げた。
「拘束と闘って自由を獲得する。そこで出来上がったものが、ほんとうのデザインである」と設計に情熱を傾けた。
略歴
[編集]- 1910年 大分県佐伯市に生まれる
- 1935年 早稲田大学理工学部建築学科卒業。逓信省、大日本航空株式会社勤務の後
- 1946年 株式会社 梓設計を創設
- 1973年 建設大臣表彰
- 1977年 黄綬褒章受章
主要作品
[編集]参考文献
[編集]- 1943年 「空港とその建築」上・下巻(アルス)
- 1954年 近代建築家「アスプルンド」(彰国社)
- 1956年 空港(日本建築学会編「建築便覧」)共著(丸善)
- 1956年 空港(建築学大系第36巻)共著(彰国社)
- 1956年 放送局(建築学大系第36巻)共著(彰国社)
- 1964年 空港(日本建築学会編「建築設計資料集成3」共著(丸善)
- 1972年 空港―その建築的施設論(相模書房)
- 1977年 米国の空港計画、建設会議に出席して(日刊建設通信に8回連載)
- 1981年 空港景観の設計<序説・設計の態度>―AAAE国際空港会議講演要旨(建築東京昭和56年8月号)