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済鱗寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
済鱗寺
所在地 兵庫県神戸市兵庫区兵庫町2-1-38
位置 北緯34度40分17.1秒 東経135度10分25.8秒 / 北緯34.671417度 東経135.173833度 / 34.671417; 135.173833座標: 北緯34度40分17.1秒 東経135度10分25.8秒 / 北緯34.671417度 東経135.173833度 / 34.671417; 135.173833
山号 慈光山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 明応2年(1493年
開山 眞譽林光
中興年 1570年[1]
中興 阿譽
札所等 清盛七辯天 第3番
法人番号 8140005000387 ウィキデータを編集
済鱗寺の位置(神戸市内)
済鱗寺
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済鱗寺(さいりんじ、旧字表記:濟鱗寺)は兵庫県神戸市兵庫区兵庫町にある浄土宗の仏教寺院

歴史

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  • 明応2年(1493年)、眞譽林光上人の開基。創建当時の寺号は「西蓮寺」といった[2]
  • 1570年[1]、等譽上人が海中より出現した阿弥陀如来像を本尊として、魚類を供養していたことから寺号を「済鱗寺」と改めた[2]
  • 宝永5年(1708年)、大火類焼したが、信者の協力により五百羅漢像を建立。このことから「羅漢寺」とも呼ばれるようになった[2]
  • 神戸大空襲で、本堂等全ての施設を焼失。[3]
  • 阪神・淡路大震災1995年)で本堂等は全壊。その後、仮の本堂で御本尊を祀っていた[4]が、令和元年(2019年)現在、本堂は再建されている。

歴代上人[5]

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開山 眞譽上人
二代 等譽上人
三代 彌譽上人
四代 曉譽上人
五代 莊譽上人
六代 廣譽上人
七代 順譽上人
八代中興 阿譽上人
九代 光譽上人
十代 宣譽上人
十一代 瑞譽上人
十二代 闡譽上人
十三代 精譽上人
十四代 潤譽上人
十五代 頭譽上人
十六代 往譽上人
十七代 願譽上人
十八代 頂譽上人
十九代 月譽上人
二十代 生譽上人
二十一代 仁譽上人

べんきょう弁天(西宮内弁天)[6]

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「神戸みなもとの道 清盛七辯天」の第3番に「べんきょう弁天(西宮内弁天)」として選出されている。この弁天像は、インドの弁天像と同様にペンを持っている。

元々の弁天像は木像であり、第二次世界大戦神戸大空襲で焼失したが、平成14年(2002年)に石亀工藝(株)の協力により、石像として再興された。

祀られている地蔵尊[6]

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水かけ地蔵

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もと長田区二葉町で祀られていた。縁あってこの地に移された。

皆の願いが叶う様に、この名前がつけられた。

迷い子地蔵

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もと鵯越墓苑で祀られていた。縁あってこの地に移された。

思い悩み、迷っている人たちの願いを聞いてもらえる様に「迷い子地蔵」と名前がつけられた。

震災地蔵

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阪神・淡路大震災の犠牲者の追善菩提の為に祀られている。

龍華地蔵

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もと長田区大橋町の竹越家で手厚く祀られていたが、震災後の都市計画で移転を余儀なくされ、この地に移された。

出典

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  1. ^ a b この年の途中で改元があった為、元号は不明。
  2. ^ a b c seiyo39. “済鱗寺 on 2012-4-10”. 散策とグルメの記録. 2019年8月25日閲覧。
  3. ^ fmyykim. “神戸市兵庫区の勉強弁天を祭る済鱗寺 #401 | FMわぃわぃ Kim Chiaki のホームページ”. FMわぃわぃ Kim Chiaki のホームページ. 2019年8月28日閲覧。
  4. ^ 済鱗寺(2012年4月14日参拝) - Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて”. 済鱗寺(2012年4月14日参拝) - Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて. 2019年8月28日閲覧。
  5. ^ 慈光山濟鱗寺歴代上人之塔より
  6. ^ a b 済鱗寺「べんきょう弁天」説明看板より