済鱗寺
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済鱗寺 | |
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所在地 | 兵庫県神戸市兵庫区兵庫町2-1-38 |
位置 | 北緯34度40分17.1秒 東経135度10分25.8秒 / 北緯34.671417度 東経135.173833度座標: 北緯34度40分17.1秒 東経135度10分25.8秒 / 北緯34.671417度 東経135.173833度 |
山号 | 慈光山 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 明応2年(1493年) |
開山 | 眞譽林光 |
中興年 | 1570年[1] |
中興 | 阿譽 |
札所等 | 清盛七辯天 第3番 |
法人番号 | 8140005000387 |
済鱗寺(さいりんじ、旧字表記:濟鱗寺)は兵庫県神戸市兵庫区兵庫町にある浄土宗の仏教寺院。
歴史
[編集]- 明応2年(1493年)、眞譽林光上人の開基。創建当時の寺号は「西蓮寺」といった[2]。
- 1570年[1]、等譽上人が海中より出現した阿弥陀如来像を本尊として、魚類を供養していたことから寺号を「済鱗寺」と改めた[2]。
- 宝永5年(1708年)、大火類焼したが、信者の協力により五百羅漢像を建立。このことから「羅漢寺」とも呼ばれるようになった[2]。
- 神戸大空襲で、本堂等全ての施設を焼失。[3]
- 阪神・淡路大震災(1995年)で本堂等は全壊。その後、仮の本堂で御本尊を祀っていた[4]が、令和元年(2019年)現在、本堂は再建されている。
開山 | 眞譽上人 |
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二代 | 等譽上人 |
三代 | 彌譽上人 |
四代 | 曉譽上人 |
五代 | 莊譽上人 |
六代 | 廣譽上人 |
七代 | 順譽上人 |
八代中興 | 阿譽上人 |
九代 | 光譽上人 |
十代 | 宣譽上人 |
十一代 | 瑞譽上人 |
十二代 | 闡譽上人 |
十三代 | 精譽上人 |
十四代 | 潤譽上人 |
十五代 | 頭譽上人 |
十六代 | 往譽上人 |
十七代 | 願譽上人 |
十八代 | 頂譽上人 |
十九代 | 月譽上人 |
二十代 | 生譽上人 |
二十一代 | 仁譽上人 |
「神戸みなもとの道 清盛七辯天」の第3番に「べんきょう弁天(西宮内弁天)」として選出されている。この弁天像は、インドの弁天像と同様にペンを持っている。
元々の弁天像は木像であり、第二次世界大戦神戸大空襲で焼失したが、平成14年(2002年)に石亀工藝(株)の協力により、石像として再興された。
水かけ地蔵
[編集]もと長田区二葉町で祀られていた。縁あってこの地に移された。
皆の願いが叶う様に、この名前がつけられた。
迷い子地蔵
[編集]もと鵯越墓苑で祀られていた。縁あってこの地に移された。
思い悩み、迷っている人たちの願いを聞いてもらえる様に「迷い子地蔵」と名前がつけられた。
震災地蔵
[編集]阪神・淡路大震災の犠牲者の追善菩提の為に祀られている。
龍華地蔵
[編集]もと長田区大橋町の竹越家で手厚く祀られていたが、震災後の都市計画で移転を余儀なくされ、この地に移された。
出典
[編集]- ^ a b この年の途中で改元があった為、元号は不明。
- ^ a b c seiyo39. “済鱗寺 on 2012-4-10”. 散策とグルメの記録. 2019年8月25日閲覧。
- ^ fmyykim. “神戸市兵庫区の勉強弁天を祭る済鱗寺 #401 | FMわぃわぃ Kim Chiaki のホームページ”. FMわぃわぃ Kim Chiaki のホームページ. 2019年8月28日閲覧。
- ^ “済鱗寺(2012年4月14日参拝) - Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて”. 済鱗寺(2012年4月14日参拝) - Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて. 2019年8月28日閲覧。
- ^ 慈光山濟鱗寺歴代上人之塔より
- ^ a b 済鱗寺「べんきょう弁天」説明看板より