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渋川義春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
渋川義春
時代 鎌倉時代中期
生誕 不明
死没 不明
別名 二郎三郎
幕府 鎌倉幕府
主君 惟康親王
氏族 渋川氏
父母 父:渋川義顕、母:北条為時
正室:北条時広
貞頼
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渋川 義春(しぶかわ よしはる)は、鎌倉時代中期の御家人渋川氏2代当主。

渋川氏初代当主・渋川義顕の子として誕生。

その生涯は不明な点が多いが、『系図纂要』によると文永9年(1272年)3月に罪を得て佐渡国に配流されたが翌年には許されて陸奥国刈田郡並びに柴田郡を領したとされる。なお、この背景には二月騒動との関係を指摘する見方もある[1]

脚注

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  1. ^ 谷口雄太「中世後期における御一家渋川氏の動向」戦国史研究会 編『戦国期政治史論集 西国編』(岩田書院、2017年) ISBN 978-4-86602-013-6 P146

参考文献

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