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渡辺七郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

渡辺 七郎(渡邊 七郎、わたなべ しちろう、1885年明治18年)4月8日[1] - 1933年昭和8年)4月26日[1][2])は、大正・昭和期の政治家華族貴族院子爵議員

経歴

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会計検査院長・渡邊昇の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1913年(大正2年)12月10日、子爵を襲爵した[1][3][4]

1915年(大正4年)慶應義塾大学部法律科を卒業[3]1921年(大正10年)大日本武徳会商議員に就任した[2]

1924年(大正13年)3月8日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]研究会に所属して活動し死去するまで3期在任した[2]

1933年(昭和8年)に七郎が没した後は、長男の武宣が襲爵。さらに1938年(昭和13年)に武宣が没すると、弟の武治が襲爵した[7]

家族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 武治戦死後に襲爵の手続きは行われなかった。『平成新修旧華族家系大成』下巻、857頁。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 下巻』857頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』60頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第9版』ワ44頁。
  4. ^ 『官報』第412号、大正2年12月11日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、32頁。
  6. ^ 『官報』第3462号、大正13年3月11日。
  7. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、537頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  8. ^ a b c 渡辺七郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  9. ^ a b 今井太郞右衞門コトバンク
  10. ^ 『もう一つの維新史: 長崎・大村藩の場合』外山幹夫、新潮社, 1993、p38
  11. ^ 加藤万四郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  12. ^ 『二・二六事件の原点: 陸軍士官学校における革新の狠火』芦沢紀之、原書房, 1974 p81

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
渡邊昇
子爵
渡邊(昇)家第2代
1913年 - 1933年
次代
渡辺武宣