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渡辺金造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺刀水から転送)

渡辺 金造(わたなべ きんぞう、1874年明治7年〉7月27日 - 1965年昭和40年〉5月23日)は、日本の陸軍軍人歴史家陸軍中将。号は刀水。退役後、埼玉県出身人物や国学者の事蹟を中心とした研究に没頭した。

経歴

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群馬県出身。1897年(明治30年)11月、陸軍士官学校(9期)を卒業し、翌年6月、歩兵少尉に任官。

1901年(明治34年)10月、陸軍大学校(18期)に入学するが、日露戦争のため1904年(明治37年)2月に中退。戦後、1906年(明治39年)3月、陸大に復校し、同年11月に卒業し、第13師団参謀となる。

1918年(大正7年)7月には歩兵大佐に昇進し歩兵第12連隊長に、1922年(大正11年)8月には陸軍少将に進級し歩兵第40旅団長に、1924年(大正13年)2月には台湾軍参謀長に就任した。

1919年(大正8年)7月、第18師団参謀長に転じた。

1927年(昭和2年)7月、陸軍中将に進み下関要塞司令官となるが、1年後の1928年(昭和3年)8月に待命、そして予備役編入となった。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

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位階
勲章等

著書

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脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」190頁。
  2. ^ 『官報』第3035号「叙任及辞令」1922年9月12日。
  3. ^ 『官報』第263号「叙任及辞令」1927年11月12日。
  4. ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1928年10月10日。
  5. ^ 『官報』第7808号・付録「辞令」1909年7月6日。
  6. ^ 『官報』第1620号「叙任及辞令」1917年12月25日。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

外部リンク

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