渡辺金造
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(渡辺刀水から転送)
渡辺 金造(わたなべ きんぞう、1874年〈明治7年〉7月27日 - 1965年〈昭和40年〉5月23日)は、日本の陸軍軍人、歴史家。陸軍中将。号は刀水。退役後、埼玉県出身人物や国学者の事蹟を中心とした研究に没頭した。
経歴
[編集]群馬県出身。1897年(明治30年)11月、陸軍士官学校(9期)を卒業し、翌年6月、歩兵少尉に任官。
1901年(明治34年)10月、陸軍大学校(18期)に入学するが、日露戦争のため1904年(明治37年)2月に中退。戦後、1906年(明治39年)3月、陸大に復校し、同年11月に卒業し、第13師団参謀となる。
1918年(大正7年)7月には歩兵大佐に昇進し歩兵第12連隊長に、1922年(大正11年)8月には陸軍少将に進級し歩兵第40旅団長に、1924年(大正13年)2月には台湾軍参謀長に就任した。
1927年(昭和2年)7月、陸軍中将に進み下関要塞司令官となるが、1年後の1928年(昭和3年)8月に待命、そして予備役編入となった。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
著書
[編集]- 『安藤野鴈集』、上田泰文堂、1934年
- 武島嘉三郎共編『侯爵久邇邦久伝』、飯田七三郎、1937年
- 『埼玉図書館叢書』、埼玉県立図書館、1932年 -
- 『碧蹄戦史 附幸州の戦、蔚山の戦』、明隣堂、1938年
- 『平田篤胤研究』、六甲書房、1942年
- 『鳩ヶ谷三志』、文進社、1942年
- 『平田篤胤と夫人』、弘学社、1944年
- 『渡辺刀水集』<日本書誌学大系47>、青裳堂書店、1985年 - 1989年
- 「近世名家手簡集」
- 「安藤素軒と年山」「荷田東丸大人」「明石景文亀蔵」「大寂庵立綱」「畠山梅軒」「黒沢翁満 - 藐姑射秘言の著者」「山東京伝と黒沢翁満との交渉」「井上文雄の筆禍」「松の門三艸子の逸話」
- 「村田春門日記鈔 文政五年壬午 - 天保五年甲午」
- 「歌人としての太田道灌」「安部摂津守信友の遺言書」「関東郡代伊奈熊蔵忠次」「松窓関脩齢」「武蔵志の著者福嶋東雄」「根岸典則 - 武州青梅の学者」「渡辺荒陽」「西沢曠野と其子孫」「若林嘉陵 - 秩父の儒者」「桑原北林」「大宮司栗原茂景」「森玄黄斎 - 秩父の畸人」「森玄黄斎余録」「戸井田研斎」「久永松陵」「斎藤多須久」「秩父志の著者大野玄鶴」「北越の志士星野米峰」
- 「鳩谷三志」「安藤野鴈」
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。