渡辺方綱
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永17年(1640年) |
死没 | 延宝8年2月1日(1680年3月1日) |
改名 | 半助(幼名)→方綱 |
別名 | 正綱 |
戒名 | 道閑方綱院 |
墓所 | 東京都台東区池之端の忠綱寺 |
官位 | 従五位下越中守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 武蔵野本藩主 |
氏族 | 三河渡辺氏 |
父母 | 父:渡辺吉綱、母:高木正成娘 |
兄弟 |
近綱、利綱、方綱、則綱、 内藤信通正室、山田常紀室 |
妻 | 正室:松平氏信娘 |
子 |
豊綱、渡辺基綱正室 養子:基綱[1] |
渡辺 方綱(わたなべ まさつな)は、江戸時代前期の大名。武蔵国野本藩の第2代藩主。伯太藩渡辺家2代。
略歴
[編集]寛永17年(1640年)、のちに初代野本藩主となる旗本渡辺吉綱の三男として誕生。
万治2年(1659年)、従五位下・越中守に叙位・任官する。兄の近綱・利綱が相次いで早世したために世子となり、寛文8年(1668年)の父の死去により家督を継いだ。寛文11年(1671年)5月10日、近江国水口城の守備を務めた。
延宝8年(1680年)6月19日、死去。享年41。男子は全て早世していたため、婿養子の基綱が跡を継いだ。