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渡辺純忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺 純忠
わたなべ すみただ
生年月日 (1945-01-04) 1945年1月4日(79歳)
出生地 日本の旗 日本 山口県山口市
出身校 長崎大学教育学部
前職 地方公務員山口県
所属政党 自由民主党
称号 旭日小綬章

当選回数 4回
在任期間 2005年 - 2021年11月12日
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渡辺 純忠(渡邊 純忠[1][2][3][注 1]、わたなべ すみただ、1945年昭和20年)1月4日[4] - )は、日本政治家山口県山口市長(4期)を務めた。

概要

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山口県徳地町生まれ。山口県立山口高等学校長崎大学教育学部卒業。1968年、長崎大を卒業し山口県庁に就職した。山口県では商工労働部、総務部、企画部、教育庁、環境生活部等に勤務し、2001年に山口県水産部長に就任。翌2002年には山口市へ出向し、山口市長・合志栄一の下で山口市助役に起用された。

2005年市町村合併による新・山口市の発足に伴う山口市長選挙に、山口市・防府市の合併を掲げて立候補。旧・山口市長の合志栄一を破り初当選を果たした。2009年、元徳地町長の伊藤青波らを破り、山口市長に再選。

2013年の山口市長選挙では自民民主公明3党の推薦を受け、新人2候補を破り3選した[5]

2017年の山口市長選挙に4選。なお、各市長選には無所属で立候補しているものの、自民党の党員である[6]

2021年9月、同年10月の山口市長選挙には立候補せず、任期限りで退任する意向を表明[7][8]

2024年(令和6年)春の叙勲で、旭日小綬章受章[9][1]

年譜

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  • 1945年(昭和20年) - 山口県徳地町八坂で出生
  • 1960年(昭和35年) - 徳地町立八坂中学校卒業
  • 1963年(昭和38年) - 山口県立山口高等学校卒業
  • 1968年(昭和43年) - 長崎大学教育学部卒業、山口県庁入庁
  • 1978年(昭和53年) - 山口県商工労働部通商観光課運輸係長
  • 1980年(昭和55年) - 山口県総務部地方課振興係長
  • 1983年(昭和58年) - 山口県企画部企画課長補佐
  • 1988年(昭和63年) - 山口県企画部企画課主幹
  • 1990年(平成2年) - 山口県教育庁社会教育課長
  • 1992年(平成4年) - 山口県企画部地域振興課長
  • 1993年(平成5年) - 山口県総務部地方課長
  • 1995年(平成7年) - 山口県総務部参事兼地方課長兼国際交流室長
  • 1996年(平成8年) - 山口県総務部参事兼地方課長
  • 1997年(平成9年) - 山口県環境生活部参事兼廃棄物対策室長
  • 1998年(平成10年) - 山口県環境生活部環境審議監
  • 2000年(平成12年) - 山口県環境生活部次長
  • 2001年(平成13年) - 山口県水産部長、山口県栽培漁業公社理事長
  • 2002年(平成14年) - 山口市助役(市長は合志栄一
  • 2005年(平成17年) - 山口市長に無所属で立候補し、初当選
  • 2009年(平成21年) - 山口市長再選
  • 2013年(平成25年) - 山口市長3選
  • 2015年(平成27年) - 山口県市長会会長
  • 2017年(平成29年) - 中国市長会会長、山口市長4選
  • 2018年(平成30年) - スペイン・シンポジウム実行委員会会長
  • 2021年(令和3年) - 山口市長退任

脚注

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注釈

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  1. ^ 苗字の「邊」の表記は、正式にはしんにょう(辶)の点が1つのものを用いる。

出典

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外部リンク

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公職
先代
合志栄一
山口市旗山口県山口市長
2005年 - 2021年
次代
伊藤和貴