渡部生一
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渡部 生一(わたなべ しょういち、1891年〈明治24年〉12月[1] - 没年不明)は、昭和時代の実業家。政治家。小野田市会議長。
経歴
[編集]山口県出身[1]。渡部秀之丞の長男[1]。1910年(明治43年)家督を相続する[1]。1917年(大正6年)東京帝国大学政治科を卒業後、三井物産に入り、1930年(昭和5年)小野田セメントに転じ、取締役兼営業部長となった[1]。
その後、大阪通船運輸代表[2]、小野田市会議長を歴任した[3]。
親族
[編集]- 渡部家
- 父・秀之丞(? - 1910年、長野県更級郡長在任中に死去)[1][4]
- 母・フミ(1873年 - ?、山口、永井卓一の二女)[1]
- 弟・善信(1906年 - 2004年、弁護士、大阪高等検察庁検事長)[1][5]
- 妻・秀子(1898年 - ?、広島、隅田光蔵の二女)[1]
- 男・周治(1927年 - 2016年、国税庁長官、関西電力副社長)[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第17版 下』人事興信所、1953年 。
- 『大阪市工業名鑑 昭和33年度版』大阪市工業会連合会、1958年 。
- 小野田市史編纂委員会 編『小野田市史』小野田市、1962年 。