渡部董之介
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渡部 董之介(わたなべ とうのすけ、慶応元年4月15日[1](1865年5月9日) - 昭和13年(1938年)2月9日[2])は、日本の文部官僚、教育者。
経歴
[編集]現在の岐阜県出身。1889年(明治22年)、帝国大学文科大学哲学科を卒業[1]。文部省試補、視学官、参事官・書記官、参事官・図書審査官、図書監査官・図書課長心得などを歴任した後[1]、第七高等学校造士館 (旧制)長に就任した[3]。
その他、維新史料編纂会委員を務めた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c 人事興信録 1918.
- ^ a b 『官報』第3336号、昭和13年2月18日。
- ^ 人事興信録 1921.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。