渥美健夫
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あつみ たけお 渥美 健夫 | |
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生誕 |
1919年7月24日 東京 |
死没 |
1993年10月14日(74歳没) 東京都 |
死因 | 肺炎 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学法学部政治学科 |
職業 | 実業家 |
親 | 渥美育郎 |
栄誉 |
藍綬褒章(1979年) 勲一等瑞宝章(1990年)[1] |
渥美 健夫(あつみ たけお 1919年(大正8年)7月24日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本の実業家、官僚。鹿島建設(鹿島)名誉会長。
来歴・人物
[編集]東京府立一中、旧制浦和高校を経て、1943年(昭和18年)、東京帝国大学法学部政治学科卒業後、商工省入省[2]。鹿島守之助の長女・伊都子と結婚する[3]。
商工省から経済安定本部、新制・通商産業省を経て1951年(昭和26年)、岳父・守之助に請われ常務として鹿島建設に入社。渥美は役人を続けるという条件で結婚したというが、「通産省はあなたがいなくても困らないが、鹿島はあなたを必要としている」と口説かれ、鹿島入りした[2]。
専務、副社長を経て1966年(昭和41年)に社長、1978年に会長。のちに、相談役、名誉会長となる。
1991年(平成3年)、アジア・西太平洋建設業協会国際連盟に功績を称えられ、「渥美賞」が設けられた[1]。
1993年10月14日、肺炎のため死去。74歳没[4]。墓所は青山霊園。
家族・親族
[編集]系譜
[編集]中曽根康弘 | 美智子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小林儀一郎 | 蔦子 | 美恵子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
渥美健夫 | 渥美直紀 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
永富敏夫 | (永富)鹿島守之助 | 伊都子 | 渥美雅也 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石川六郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(葛西)鹿島精一 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
卯女 | ヨシ子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鹿島岩蔵 | 糸子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平泉渉 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三枝子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鹿島昭一 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
梁瀬次郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
弘子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
稲山嘉寛 | 稲山孝英 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店、1983年。 149-152頁
- 『CD現代日本人名録 物故者編1901-2000』
- 神一行 『閨閥特権階級の盛衰の系譜』 角川文庫、2002年3月。ISBN 978-4043533060。 290-291頁、297-298頁
- 菊地浩之『日本の15大同族企業』平凡社新書、2010年3月。ISBN 978-4582855166。
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