湯寿潜
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湯寿潜 | |
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プロフィール | |
出生: | 1856年(清咸豊6年) |
死去: | 1917年(民国6年) |
出身地: | 清浙江省紹興府山陰県天楽郷 |
職業: | 政治家・実業家 |
各種表記 | |
繁体字: | 湯壽潜 |
簡体字: | 汤寿潜 |
拼音: | Tàng Shòuqián |
ラテン字: | T'ang Shou-ch'ien |
和名表記: | とう じゅせん |
発音転記: | タン ショウチエン |
湯 寿潜(とう じゅせん)は清末民国の政治家、実業家。字は蛰先または蛰仙。
事跡
[編集]1890年に『危言』を著し、科挙改革、鉱山開発、鉄道建設、海防強化などの改革論を説いた。1892年に進士となり、安徽省青陽県の知県となったがすぐに辞職した。1905年、浙江鉄路公司が創設されると総理に選ばれ、保路運動に尽力した。1906年には張謇とともに予備立憲公会副会長を務め、清朝に憲法制定を迫った。辛亥革命後、浙江首任都督となった。南京臨時政府交通総長にも選ばれたが就任していない。