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湯浅竜起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

湯浅 竜起(ゆあさ たつき、1907年5月8日[1] - 没年不詳)は、日本宗教家歌人

経歴

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湯浅憲亮の五男として[1]福岡市[2]に生まれる。1925年福岡県中学修猷館[3]、1928年3月旧制福岡高等学校理科乙類[4]を経て、1931年3月九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業[5][2]

1935年扶桑教ひとのみち教団(パーフェクト リバティー教団の前身)准教祖となり、1954年3月パーフェクト リバティー教団(PL教団)理事・祐祖に就任する。1947年5月に日本化工産業取締役も務めている[1]

歌人でもあり、1934年短歌結社「あしかひ」、1937年「あさひこ」、1949年「短歌芸術」の同人となる。PL教団文教部長も務めた[2]

1962年2月に制定された、PL学園校歌は、湯浅の作詞によるものである[6]

著書

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  • 『短歌鑑賞十二か月』(芸術生活社、1976年)

出典

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  1. ^ a b c 『人事興信録第24版』(人事興信所、1968年) ユ-4頁
  2. ^ a b c 湯浅竜起『短歌鑑賞十二か月』(芸術生活社、1976年)著者略歴
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員19頁
  4. ^ 『福岡高等学校一覧 第19年度(自昭和15年4月至昭和16年3月)』(福岡高等学校、1941年)160頁
  5. ^ 『九州帝国大学一覧(昭和14年)』(九州帝国大学、1940年)477頁
  6. ^ PL学園聖友会 PL学園の思い出(2023年8月5日閲覧)