満福寺 (深谷市)
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満福寺 | |
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観音閣(観音堂) | |
所在地 | 埼玉県深谷市畠山931-1 |
位置 | 北緯36度07分53.6秒 東経139度16分11.9秒 / 北緯36.131556度 東経139.269972度座標: 北緯36度07分53.6秒 東経139度16分11.9秒 / 北緯36.131556度 東経139.269972度 |
山号 | 白田山[1] |
院号 | 観音院[1] |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 不動明王 |
創建年 | 鳥羽天皇の御代(1107年 - 1123年)[1] |
開山 | 弘誓房深海[1] |
中興年 | 寿永年間(1182年 - 1184年)[1] |
中興 | 畠山重忠[1] |
文化財 | 満福寺・須弥壇(深谷市指定有形文化財)他 |
法人番号 | 4030005013643 |
満福寺(まんぷくじ)は、埼玉県深谷市にある真言宗豊山派の寺院。
歴史
[編集]鳥羽天皇の御代(1107年 - 1123年)、弘誓房深海によって開山された。その後、寿永年間(1182年 - 1184年)に畠山重忠によって中興され[2]、菩提寺となった。
現本堂の本尊は不動明王であるが、江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』では観音堂にある千手観音像が本尊としている[1]。像高は六尺三寸あり、重忠の守仏(等身大)と伝えられている[2]。
大正初期まで、当寺には重忠の鎧兜など、重忠ゆかりの品々があったといわれている。しかしその後、無住(住職不在)の時期があり、昭和初期時点では既にこれらの品々は行方不明になったという[2]。
また観音堂の裏には、重忠廟の牌のほか、彰義隊士の水橋右京之亮の墓もある。
文化財
[編集]- 満福寺・須弥壇(深谷市指定有形文化財 昭和36年11月3日指定)[3]
- 満福寺・宮殿(深谷市指定有形文化財 昭和36年11月3日指定)[3]
- 木像不動明王立像(深谷市指定有形文化財 昭和36年11月3日指定)[4]
- 板石塔婆(深谷市指定有形文化財 昭和37年12月25日指定)[5]
- 御朱印状(深谷市指定有形文化財 昭和39年8月31日指定)[6]
- 大般若経(深谷市指定有形文化財 昭和39年8月31日指定)[6]
- 木像愛染明王座像(深谷市指定有形文化財 昭和53年8月30日指定)[4]