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満福寺 (深谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
満福寺
観音閣(観音堂)
所在地 埼玉県深谷市畠山931-1
位置 北緯36度07分53.6秒 東経139度16分11.9秒 / 北緯36.131556度 東経139.269972度 / 36.131556; 139.269972座標: 北緯36度07分53.6秒 東経139度16分11.9秒 / 北緯36.131556度 東経139.269972度 / 36.131556; 139.269972
山号 白田山[1]
院号 観音院[1]
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王
創建年 鳥羽天皇の御代(1107年 - 1123年[1]
開山 弘誓房深海[1]
中興年 寿永年間(1182年 - 1184年[1]
中興 畠山重忠[1]
文化財 満福寺・須弥壇(深谷市指定有形文化財)他
法人番号 4030005013643 ウィキデータを編集
満福寺の位置(埼玉県内)
満福寺
満福寺
満福寺 (埼玉県)
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満福寺(まんぷくじ)は、埼玉県深谷市にある真言宗豊山派寺院

歴史

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鳥羽天皇の御代(1107年 - 1123年)、弘誓房深海によって開山された。その後、寿永年間(1182年 - 1184年)に畠山重忠によって中興され[2]、菩提寺となった。

現本堂の本尊不動明王であるが、江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿』では観音堂にある千手観音像が本尊としている[1]。像高は六尺三寸あり、重忠の守仏(等身大)と伝えられている[2]

大正初期まで、当寺には重忠の鎧兜など、重忠ゆかりの品々があったといわれている。しかしその後、無住(住職不在)の時期があり、昭和初期時点では既にこれらの品々は行方不明になったという[2]

また観音堂の裏には、重忠廟の牌のほか、彰義隊士の水橋右京之亮の墓もある。

文化財

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  • 満福寺・須弥壇(深谷市指定有形文化財 昭和36年11月3日指定)[3]
  • 満福寺・宮殿(深谷市指定有形文化財 昭和36年11月3日指定)[3]
  • 木像不動明王立像(深谷市指定有形文化財 昭和36年11月3日指定)[4]
  • 板石塔婆(深谷市指定有形文化財 昭和37年12月25日指定)[5]
  • 御朱印状(深谷市指定有形文化財 昭和39年8月31日指定)[6]
  • 大般若経(深谷市指定有形文化財 昭和39年8月31日指定)[6]
  • 木像愛染明王座像(深谷市指定有形文化財 昭和53年8月30日指定)[4]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 新編武蔵風土記稿 畠山村.
  2. ^ a b c 敏蔭英三、秋山喜久夫 著『ふるさとの寺』埼玉県郷土史料刊行会、1971年、142-147p
  3. ^ a b 有形文化財・工芸品深谷市
  4. ^ a b 彫刻深谷市
  5. ^ 考古資料深谷市
  6. ^ a b 書跡、典籍、古文書深谷市

参考文献

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  • 敏蔭英三、秋山喜久夫 著『ふるさとの寺』埼玉県郷土史料刊行会、1971年
  • 「畠山村 満福寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ224男衾郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764010/72