源国盛
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源 国盛(みなもと の くにもり、生年不詳 - 長徳2年(996年)秋?)は、平安時代中期の貴族。光孝源氏、陸奥守・源信明の子。官位は従四位上・伝播磨守。
概要
[編集]長徳2年(996年)国盛と藤原為時はともに越前守を懇願し、一度は国盛が越前守に任ぜられる。ここで、為時が一条天皇に自身の不遇を訴える漢詩を送ったところ、天皇は大いに感動し、左大臣・藤原道長は国盛に替えて為時を越前守に任じた。国盛はこのことにより病気となり、その年の秋には播磨守に任ぜられたが、赴任出来ないまま没したという[1][2][3]。なお、『小右記』によれば長徳2年の秋の除目では、播磨守には源時明が任じられるも、時明が辞退し、直物で新たに藤原信理が任じられている[4]。また、『今昔物語集』24巻30話では源国盛ではなく藤原国盛とされているがこれは誤りとされる。
官歴
[編集]- 時期不詳:但馬守
- 永延元年(987年) 正月28日:遷常陸介、元但馬守[5]
- 永祚元年(989年) 2月6日:見讃岐守[5]
- 長徳2年(996年) 正月25日:越前守、見従四位上[6]。正月28日:停越前守[7]。秋:播磨守?、卒去?[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 国書刊行会『新・国史大年表』2006年、933頁。
- 木下美『紫式部日記の研究と鑑賞 : 日記体を中心に』(限定版)、1982年。doi:10.11501/12454057。全国書誌番号:83007408 。「制作:九州大学出版会」
- 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年
- 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年
関連文献
[編集]- 久保田孝夫「越前守藤原為時の補任」『同志社国文学』第16号、同志社大学国文学会、1980年3月、37-47頁、CRID 1390290699886972160、doi:10.14988/pa.2017.0000004929、ISSN 03898717。