源宗城
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(源巨城から転送)
時代 | 平安時代前期 - 中期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 承平3年5月12日(933年6月7日) |
改名 | 宗城王→源宗城 |
別名 | 宗成、巨城 |
官位 | 従四位下、侍従 |
主君 | 醍醐天皇→朱雀天皇 |
氏族 | 宇多源氏 |
父母 | 父:敦固親王 |
兄弟 | 宗室、宗城 |
源 宗城(みなもと の むねざね)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。名は宗成または巨城とも表記される。宇多天皇の孫。二品兵部卿・敦固親王の次男。官位は従四位下・侍従。
経歴
[編集]醍醐朝末の延長6年(928年)従四位下に初叙[1]。当時は宗城王と名乗っていた。その後、臣籍降下し、侍従に任ぜられた。しかし、承平3年(933年)5月12日に民部史生諸藤(姓は不明)によって母と共に殺害された[2]。殺害に至る経緯は不明である。
勅撰歌人として、平中興の娘[3]と交わした歌など、『後撰和歌集』以下の勅撰和歌集に2首が入集している。