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源宗城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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源宗城
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 不詳
死没 承平3年5月12日933年6月7日
改名 宗城王→源宗城
別名 宗成、巨城
官位 従四位下侍従
主君 醍醐天皇朱雀天皇
氏族 宇多源氏
父母 父:敦固親王
兄弟 宗室、宗城
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源 宗城(みなもと の むねざね)は、平安時代前期から中期にかけての貴族歌人。名は宗成または巨城とも表記される。宇多天皇の孫。二品兵部卿敦固親王の次男。官位従四位下侍従

経歴

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醍醐朝末の延長6年(928年従四位下に初叙[1]。当時は宗城王と名乗っていた。その後、臣籍降下し、侍従に任ぜられた。しかし、承平3年(933年)5月12日に民部史生諸藤(は不明)によって母と共に殺害された[2]。殺害に至る経緯は不明である。

勅撰歌人として、平中興の娘[3]と交わした歌など、『後撰和歌集』以下の勅撰和歌集に2首が入集している。

脚注

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  1. ^ 北山抄延長6年正月条
  2. ^ 扶桑略記承平3年5月12日条
  3. ^ 恋愛関係にあった。