源忠賢
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源 忠賢 (みなもとの ただかた) とは平安時代中期の貴族。醍醐源氏、西宮左大臣源高明の長男。官位は正五位下・左兵衛佐
安和2年(969年)3月に左馬助・源満仲と前武蔵介・藤原善時らが中務少輔・橘繁延と左兵衛大尉・源連らによる謀反を密告。謀反の容疑は父、高明にも及び[1]、検非違使に邸を取り囲まれ、大宰権帥に左遷する詔が伝えられた。忠賢は父高明と共に出家して京に留まることを願うが許されず、大宰府へ流された。その後は不明。
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