源恵
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 延長9年(931年) |
別名 | 忠 |
官位 | 正五位下、右衛門権佐 |
主君 | 醍醐天皇 |
氏族 | 嵯峨源氏 |
父母 | 父:源弼、母:不詳 |
兄弟 | 恵、大輔 |
妻 | 不詳 |
子 | 洽 |
源 恵(みなもと の ほどこす)は、平安時代前期の貴族・歌人。名は忠とも記される。嵯峨源氏、大納言・源弘の孫。但馬守・源弼の長男。官位は正五位下・右衛門権佐。
経歴
[編集]能登介・主殿助を経て、延喜8年(908年)従五位下・信濃守に叙任される。延喜15年(915年)治国の功労により従五位上に叙せられ、伊豆守に任ぜられる。
延喜20年(920年)治部大輔に任ぜられ京官に復すが、延喜21年(921年)山城守を兼ね、延長元年(923年)右衛門権佐に遷任するが、引き続き山城守も務めた。延長4年(926年)伊豆山城両国の治国の功労により正五位下に叙せられると、延長6年(928年)丹波守に任ぜられるなど醍醐朝にて主に地方官を歴任した。朱雀朝の延長9年(931年)卒去。
勅撰歌人として、『古今和歌集』に和歌作品1首が採録されている[1]。
官歴
[編集]注記のないものは『古今和歌集目録』による。
- 昌泰3年(900年) 正月:能登介[2]
- 延喜4年(904年) 2月26日:主殿助
- 延喜8年(908年) 正月7日:従五位下(宇多院御給)。正月12日:信濃守
- 延喜15年(915年) 正月7日:従五位上(治国)。正月12日:伊豆守
- 延喜20年(920年) 9月21日:治部大輔
- 延喜21年(921年) 正月30日:兼山城守
- 延長元年(923年) 4月10日:兼斎院長官。6月22日:右衛門権佐、山城守如元、停治部大輔
- 延長4年(926年) 正月10日:正五位下(伊豆山城両治国)
- 延長6年(928年) 正月25日:丹波守
- 延長9年(931年) 日付不詳:卒去
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
- 父:源弼
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:源洽