源河川
源河川 | |
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「源河節の碑」付近 | |
水系 | 二級水系 源河川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 12.8 km |
平均流量 |
0.58 m3/s (源河カジュマル原) |
流域面積 | 19.4 km2 |
水源 | 大湿帯(オーシッタイ) |
河口・合流先 | 東シナ海 |
流域 | 日本 沖縄県名護市 |
源河川(げんかがわ、じんかがー)は、沖縄島北部の名護市源河地区内を流れる二級河川である。源河走川(じんかはいかー)、源河大川[1] とも呼ばれる。
地理・生物
[編集]名護市北部にある一ッ岳の北東に広がる大湿帯(オーシッタイ)付近に発し、蛇行しながらおおむね北西から北へ流れ、中流にある「源河節の碑」付近で北東に向きを変えて下流部で桃原川、福地川を合流し源河集落を抜けて東シナ海に注ぐ。名護市内最大の河川である。
アオバラヨシノボリ、ナガノゴリ、アヤヨシノボリ、タイワンキンギョ、タウナギ、リュウキュウアユなどが生息する。下流部は汽水域となっておりボラ、ハゼ、フナなどが見られる[2][3]。
利水
[編集]河口から1.5キロメートルの桃原川合流点直上付近に取水堰があり、沖縄県企業局が1日あたり1,440立方メートルの上水道用水を取り入れている。この他に農業用水や工業用水も取水されている。取水堰から上流5キロメートルに砂防堰堤がある[4]。リュウキュウアユなどの遡上を促すため、1993年(平成5年)、取水堰と砂防ダムに魚道が追加されている[3]。
歴史
[編集]古くから清流として知られ、源河節(平敷節)に「源河走川や潮か湯か水か、源河みやらべたがおすでどころ」と歌われる[5]。河口部はかつて「ギンカンナト」と呼ばれる港湾として使われていた[4]。
リュウキュウアユはかつて普通にみられ、1930年(昭和5年)に養殖する計画が進められたが第二次世界大戦のため中断された[6]。沖縄戦後の乱獲や流域の開発による赤土流入、畜産施設の排水流入などのため、源河川を始めとする沖縄島のアユは1980年前後に絶滅した。1985年(昭和60年)頃から河川を再生させる市民運動が始まり、翌1986年3月28日、「源河川にアユを呼び戻す会」が設立された[7]。1991年(平成3年)、河畔にリュウキュウアユ種苗センターがつくられ、翌1992年7月8日に稚魚が放流された。その後の調査においてリュウキュウアユの遡上が観察され、定着しつつあることが確認された[2][8]。
脚注
[編集]- ^ 国土地理院2万5千分の1地形図『仲尾次』
- ^ a b 『名護市の淡水魚類』 pp.13-16
- ^ a b 『名護市史・本編7』 pp.34-35
- ^ a b 『沖縄県主要水系調査書』 p.16
- ^ 「源河節の碑」碑文
- ^ 『名護市の淡水魚類』 pp.103-112
- ^ 『名護市史・本編7』 pp.441-444
- ^ 沖縄総合事務局北部ダム事務所 『リュウキュウアユの生息環境及び追跡調査結果(福地ダム・源河川)』 「沖縄におけるリュウキュウアユの現状」 p.7、1994年
参考文献
[編集]- 沖縄県企画開発部土地利用対策課 『沖縄県主要水系調査書(沖縄本島中北部地域)』 昭和63年3月
- 幸地良仁 『名護市天然記念物調査報告4 名護市の淡水魚類』 名護市教育委員会、1999年
- 名護市史編さん委員会編 『名護市史・本編7 社会と文化』 名護市役所、2002年