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源直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源直
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 天長7年(830年
死没 昌泰2年12月26日900年1月30日
官位 従三位参議
主君 文徳天皇清和天皇陽成天皇光孝天皇宇多天皇醍醐天皇
氏族 嵯峨源氏
父母 父:源常、母:不詳
兄弟 、相、備
養兄弟:
不詳
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源 直(みなもと の すなお)は、平安時代初期から前期にかけての公卿嵯峨源氏左大臣源常の三男[1]官位従三位参議

経歴

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文徳朝仁寿4年(854年従五位下に叙せられ、翌斉衡2年(855年侍従に任ぜられる。その後、文徳朝末の天安元年(857年)10月に中務少輔に転じ、さらに天安2年(858年)5月に兵部少輔に遷った。

同年11月の清和天皇即位に伴って従五位上に叙せられる。清和朝前半は引き続き兵部少輔を務める一方、貞観9年(867年正五位下に叙せられている。その後、貞観10年(868年右中弁、貞観12年(870年)左中弁、貞観15年(873年蔵人頭、貞観16年(874年右近衛権中将と清和朝半ばは文武の要職を歴任し、この間の貞観13年(871年従四位下に昇叙された。貞観17年(875年)病気のために蔵人頭を辞任するが、引き続き光孝朝まで10年以上に亘って近衛中将を務め、この間の貞観18年(876年)従四位上、元慶元年(877年正四位下と昇進している。

光孝朝仁和2年(886年参議に任ぜられ公卿に列す。光孝朝から宇多朝前半にかけて、議政官として左大弁を兼帯した。寛平4年(892年)兼官が左大弁から右衛門督に遷り、寛平8年(896年従三位に至る。寛平9年(897年)右衛門督の兼官も解かれ、讃岐権守のみを兼ねた。

醍醐朝昌泰2年(899年)12月26日出家するが、即日薨去[1]享年71。最終官位は参議従三位行讃岐権守。

官歴

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注記のないものは『日本三代実録』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:源常
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:源同(または周)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『公卿補任』
  2. ^ a b c d e 『近衛府補任』

参考文献

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