源義宗
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時代 | 平安時代後期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 兵庫允、左衛門少尉 |
氏族 | 河内源氏 |
父母 | 父:源義家 |
兄弟 | 義宗、義親、義忠、義国、義時、義隆、輔仁親王妃、源重遠室 |
子 | 養子:忠宗 |
源 義宗(みなもと の よしむね)は、平安時代の河内源氏の武将。源義家の子。『尊卑分脈』では長男とされる。
略歴
[編集]若くして死去したが、戦死か病没かは不詳。兵庫允・左衛門少尉の官職に就任した(『尊卑分脈』)。また、甥の忠宗(次弟・義忠の子)が義宗の養子となっている。
『平泉志』巻之上(一関藩教成館學頭、高平眞藤編)によると、後三年の役の金沢柵の攻防の記事に、
- 「義家朝臣には所労に由り出陣叶はず。弟新羅三郎義光並に嫡子河内判官義忠軍を率て金澤を攻らる。」
との記事を載せるが、この記事の寛治4年(1090年)では、嫡子とされる源義忠は僅か7歳でしかないため、一軍を率いていたとは考え難い。そのため、義忠の他の兄弟であると考え、嫡子というのが単に長男であることを意味すると理解すれば、上記の記事の嫡子は義宗のことと考えられる。