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奥野市次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
溝口市次郎から転送)
奥野市次郎
おくの いちじろう
生年月日 1860年10月8日
出生地 日本の旗 日本 山城国京都(現京都府京都市下京区第30組笹屋町(東洞院通中珠数屋町下ル))
没年月日 (1919-08-28) 1919年8月28日(58歳没)
死没地 日本の旗 日本 京都府京都市
出身校 京都府中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校
前職 下京区書記
現職 政友会本部政務調査員
所属政党自由党
愛国公党→)
自由党→)
憲政党→)
立憲政友会

選挙区 京都府京都市選挙区
当選回数 3回
在任期間 1902年8月10日 - 1908年3月27日

下京区会議員

在任期間 1888年 - 1891年12月
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奥野 市次郎(おくの いちじろう、1860年10月8日万延元年8月24日[1])- 1919年大正8年)8月28日[1][2][注釈 1])は、明治から大正期のジャーナリスト政治家、教育者、公吏衆議院議員。旧姓は溝口、号・溝口鞍山[1]

経歴

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山城国京都、のちの京都府[2]京都市[3]下京区第30組笹屋町[1]東洞院通中珠数屋町下ル[1])で、貨物兼宿屋業・溝口屋、溝口喜右衛門[注釈 2]、うた の長男として生まれる[1][4]。京都府中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)を卒業[1][2][3][4]。その後、私塾で漢文学を学んだ[5]。1878年(明治11年)12月、京都府等外四等出仕となり、同府学務課詰兼師範学校助手に就任し、京都府師範学校、京都府中学校で教えた[1][2][3][4][5]。1880年(明治13年)に辞職したが、1881年(明治14年)下京区書記に任じられた[1][2]

1880年11月、国会期成同盟に加わり、1881年、自由党に入党し自由民権運動を推進した[1][5][6]。有志と三大事件建白運動に参加して1887年(明治20年)11月、元老院に建白書を提出した[1]。1888年(明治21年)2月、京都府会議員の補欠選挙で当選し、1891年(明治24年)12月まで在任し、その他、下京区会議員、徴兵参事員なども務めた[1][2][3][4][5]。1889年(明治22年)板垣退助に従って愛国公党に加わり、1890年(明治23年)立憲自由党(自由党)の結成に際して常議員となる[1][5]。同年、自由新聞社に入社し東京に活動の場を移し[1]、同社主幹、公論新報記者、東京新報記者、京都日報記者、自由通信社員などを務めた[1][2][3][4][6][7]

三重県から衆議院議員に立候補するにあたり1894年(明治27年)長男の猪一郎に家督を譲り、三重県度会郡東外城田村(現玉城町)字勝田、奥野宮三郎の養子となった[1][4]。三重県から衆議院議員総選挙に4回立候補したがいずれも落選。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙に京都府京都市から立憲政友会所属で出馬して初当選し[1][4][5][8]、以後、第9回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した[1][2][3][4]。この間、政友会幹事、同院内幹事、同協議員などを務めた[7]

1908年(明治41年)5月の第10回総選挙で落選。1909年(明治42年)日本製糖汚職事件で検挙され、同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固4ヶ月、執行猶予3年の有罪判決が言い渡された[9]。これにより勲四等を褫奪された[10]。その後も、政友会本部政務調査員、同員外団幹事を務め、三重県からの再出馬を図っていたが、1919年8月27日、政友会京都支部評議員会に出席のため京都入りした際に自動車から転落して脳出血を起こし、翌28日、静養先の三条大橋・万屋旅館で死去した[1]

国政選挙歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『立憲政友会功労者追遠録』121頁では8月27日。
  2. ^ 戸長、連合区会議員などを務めた皆山学区の有力者。『京都府議会歴代議員録』263頁。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『京都府議会歴代議員録』263-265頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』153-154頁。
  3. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』112-113頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『京都大事典』141頁。
  5. ^ a b c d e f 『人事興信録 初版』329頁。
  6. ^ a b 『新撰衆議院議員列伝』114頁。
  7. ^ a b 『立憲政友会功労者追遠録』121-122頁。
  8. ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』3頁。
  9. ^ 「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」504-511頁。
  10. ^ 官報 1909年9月21日 三六三頁
  11. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』25頁。
  12. ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』85頁。
  13. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』43頁。

参考文献

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  • 田中重策篇『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 京都府議会事務局編『京都府議会歴代議員録』京都府議会、1961年。
  • 雨宮昭一「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」『日本政治裁判史録 明治・後』第一法規出版、1969年。
  • 佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦ほか編『京都大事典』淡交社、1984年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。