溝口神社
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溝口神社 | |
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所在地 | 神奈川県川崎市高津区溝口2-25-1 |
位置 | 北緯35度36分08.62秒 東経139度36分37.36秒 / 北緯35.6023944度 東経139.6103778度座標: 北緯35度36分08.62秒 東経139度36分37.36秒 / 北緯35.6023944度 東経139.6103778度 |
主祭神 | 天照皇大御神 |
社格等 | 旧村社[1] |
別名 | 赤城大明神、赤城社 |
例祭 | 毎年9月15日に近い土日 |
地図 |
溝口神社(みぞのくちじんじゃ)は、神奈川県川崎市高津区にある神社。かつては溝口村の鎮守・赤城大明神と称されていた[1][2]。
概要
[編集]創建年代は不明。江戸時代神仏習合のお社として、矢倉沢往還(大山道)の溝口宿近在の村々の総鎮守として赤城社と称した。当時は毘沙門天と弁財天を祀っていた[3]。
創建時より、毘沙門天、弁財天の男女二神を神体として安置をしてきた。明治初年の神仏分離令に従って神像を裏の宗隆寺に移し、溝口村、高津村、下宿、中宿、片町、六間町、六番組を統合し伊勢皇神宮より御分霊を奉迎し、御祭神を改め溝口神社と名称を改めた[1][2]。
歴史
[編集]主な歴史は以下のとおりである[4]。
- 1783年(天明3年)2月溝口村鎮守赤城社が再建された。
- 1841年(天保12年)春に赤城社の社殿が傷んだことから再建工事が開始された。
- 1842年(天保13年)8月15日までに再建工事完成した。
- 1848年(寛永元年)8月15日までに拝殿向拝や参道の敷石が完成した。
- 1852年(寛永5年)2月に赤城社境内の稲荷社が再建された。
- 1854年(寛永7年)10月4日(現11月23日)の大地震で赤城社の鳥居が倒れた。
- 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により社殿は全壊した[2][5]。
- 1934年(昭和9年)11月に氏子達により再建された[2][5]。
境内
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稲荷社
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ご神木のけやき
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水神宮の石祠