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溝口神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
溝口神社


拝殿

地図
所在地 神奈川県川崎市高津区溝口2-25-1
位置 北緯35度36分08.62秒 東経139度36分37.36秒 / 北緯35.6023944度 東経139.6103778度 / 35.6023944; 139.6103778 (溝口神社)座標: 北緯35度36分08.62秒 東経139度36分37.36秒 / 北緯35.6023944度 東経139.6103778度 / 35.6023944; 139.6103778 (溝口神社)
主祭神 天照皇大御神
社格村社[1]
別名 赤城大明神、赤城社
例祭 毎年9月15日に近い土日
地図
溝口神社の位置(神奈川県内)
溝口神社
溝口神社
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溝口神社(みぞのくちじんじゃ)は、神奈川県川崎市高津区にある神社。かつては溝口村の鎮守・赤城大明神と称されていた[1][2]

概要

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創建年代は不明。江戸時代神仏習合のお社として、矢倉沢往還大山道)の溝口宿近在の村々の総鎮守として赤城社と称した。当時は毘沙門天と弁財天を祀っていた[3]

創建時より、毘沙門天弁財天の男女二神を神体として安置をしてきた。明治初年の神仏分離令に従って神像を裏の宗隆寺に移し、溝口村、高津村下宿中宿片町六間町六番組を統合し伊勢皇神宮より御分霊を奉迎し、御祭神を改め溝口神社と名称を改めた[1][2]

歴史

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主な歴史は以下のとおりである[4]

  • 1783年天明3年)2月溝口村鎮守赤城社が再建された。
  • 1841年天保12年)春に赤城社の社殿が傷んだことから再建工事が開始された。
  • 1842年(天保13年)8月15日までに再建工事完成した。
  • 1848年寛永元年)8月15日までに拝殿向拝や参道の敷石が完成した。
  • 1852年(寛永5年)2月に赤城社境内の稲荷社が再建された。
  • 1854年(寛永7年)10月4日(現11月23日)の大地震で赤城社の鳥居が倒れた。
  • 1923年大正12年)9月1日の関東大震災により社殿は全壊した[2][5]
  • 1934年昭和9年)11月に氏子達により再建された[2][5]

境内

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  • 境内社[1]
    • 稲荷社
    • 大鷲神社
    • 松尾大神
    • 水神宮 - 石祠には「安政三年」の銘がある[2]

文化財

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  • 勝海舟の大幟一対 [1]
  • 社号額一面 東郷平八郎書 [1]

年中行事

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  • 4月17日 湯立神事[1]
  • 9月15日に近い土・日曜日 例祭[2]

交通アクセス

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h 神奈川県神社庁 編『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁、1982年。 
  2. ^ a b c d e f g 神奈川県神社庁 編『かながわの神社・ガイドブック -こころの散歩道-』かなしん出版、1997年。ISBN 4-87645-222-9 
  3. ^ 『新編武蔵風土記稿 橘樹郡巻四』。 
  4. ^ 上田恒三『百姓達の明治維新 激流』株式会社友興企画、1999年9月15日。 
  5. ^ a b ふるさと展記念誌編集委員会 編『ふるさと展 - 高津に埋もれた文化財 高津区民祭関連事業第14回』川崎 高津青年会議、1988年。 

外部リンク

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