溝手保太郎
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溝手 保太郎(みぞて やすたろう、1877年(明治10年)3月30日[1] - 1933年(昭和8年)11月25日[1][2])は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家、銀行家、大地主[1]。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]溝手直次郎の長男として岡山県都宇郡早島村(現都窪郡早島町)に生まれる[1]。一時直次郎の兄の養嗣子となるが、のち復籍し、9歳にして家督を相続する[1]。1896年(明治29年)1月、早島、倉敷の地主、佐藤、綱島、大橋らと共に中備銀行を創立し頭取に就任した[1]。早島随一の大地主として120町歩の小作地を経営し、その収入を株式や公債に当て利殖を図る[1]。1910年(明治43年)韓国併合を契機に韓国にも180町歩の土地を購入、農場経営に着手した[1]。ほか、倉敷紡績、早島紡績各取締役、岡山合同貯蓄銀行頭取[1]、倉敷電灯、備作電気各取締役などを歴任した[2]。
1911年(明治44年)から貴族院多額納税者議員互選人名簿に列し[1]、1923年(大正12年)岡山県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年12月6日[3][4]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した[2]。在任中は研究会に所属した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 岡山県歴史人物事典編纂委員会 編『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。ISBN 4881975099。