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滋野文夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

滋野 文夫(しげの ふみお, 1949年7月4日 - )は、群馬県前橋市出身の水泳選手。「国体男」として知られる。通算17回の出場は史上最多。

来歴

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1949年7月4日、群馬県前橋市に生まれる[1]群馬県立前橋工業高等学校に入学し、高校総体や群馬県選手権で入賞する[1]法政大学入学後、水泳部の主将として、インターカレッジ3位の記録を残す[1]。1965年の岐阜国体から1990年の福岡国体の間に、国体出場17回の記録を打ち立てる[1]。2009年1月現在、前橋市水泳協会会長[2]。2020年4月現在前橋市スポーツ協会会長。

記録

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  • 1965年 - 岐阜国体に初出場[1]
  • 1967年 - 全日本選手権で100m自由形に出場。群馬県新記録(58秒5)を樹立。
  • 1980年 - 栃木国体成年2部50m自由形に出場、優勝[1]。記録26秒16。
  • 1983年 - 群馬国体成年2部50m自由形に出場、優勝[1]
  • 1984年 - 奈良国体成年2部50m自由形優勝[1]
  • 1990年 - 福岡国体成年2部50m自由形に出場し、大会記録(26秒12)で優勝[1]。国体出場17回の記録を打ち立てる。
  • 2009年 - マスターズ25m・50m自由形の日本記録。同時に、滋野文夫を含む4人が200~239歳区分の200mメドレーリレーで1分52秒43の世界記録を達成した[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 群馬のスポーツ人8 滋野文夫”. 公益財団法人群馬県スポーツ協会. 2021年9月閲覧。
  2. ^ 前橋市指定管理者の選定委員
  3. ^ 200mメドレーリレー