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滝大作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
滝 大作
誕生 (1933-07-22) 1933年7月22日(91歳)
東京都
職業 作家演出家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 早稲田大学文学部中退
活動期間 1960年代 -
ジャンル テレビ番組演劇ほか
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滝 大作(たき だいさく、1933年7月22日 - )は、日本コメディー作家演出家

かつてはNHK芸能局の職員として多くの演芸番組の制作を担当した。

経歴・人物

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1933年、東京都に生まれる。早稲田大学文学部演劇科中退。

1959年、NHK入局。芸能局ディレクターとして「お笑いオンステージ」等の演芸番組を担当。コント55号の仕掛け人として知られる。

1977年赤塚不二夫高平哲郎タモリと「面白グループ」を結成。4人の共著『SONO SONO(ソノソノ)』は、当時の女子大生ブームの引き金となったベストセラー『ANO ANO』(JICC出版局)のパロディでありながらヒットした。

立川談志とも親交が深い。郵政委員時代の談志がNHKを訪問し、車から入り口まで赤絨毯を敷かせ、坂本朝一会長に出迎えをさせた。談志は坂本に「滝大作くんをここに呼びなさい」と言い、呼ばれた滝に「滝くん、給料はいくらもらってるの?」と、坂本に当てつけるように聞いたという[1]。その後も長く談志と滝の交流は続き、落語会の折に痛飲したり、「老人の初心者」ぶりを嘆きあうハガキを交換するなどした[2]

1984年、NHK退職。民放各局のバラエティー番組の構成をはじめ、舞台の脚本・演出などで活躍。

1987年、400字詰め原稿用紙にして3万枚に及ぶ古川ロッパ日記を全4巻の『古川ロッパ昭和日記』に編集して刊行。

1995年より、「コメディーお江戸でござる」の脚本。途中より脚色も担当する。

明治期に活躍した建築家瀧大吉の直系子孫にあたる[3]

作品

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著書

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  • 『SONO SONO スーパーおじさんの告白メッセージ』(アイランズ、1981年、赤塚不二夫・タモリ・高平哲郎と共著)
  • 『冗談』(駸々堂出版、1984年)
  • 『酒と女とちょっとしたゲームと 毎日を3倍楽しくする法』(日本実業出版社、1985年、ほへと組と共著)
  • 『強いばかりが男じゃないと いつか教えてくれたひと―笑いの王様 シミキン』(有吉光也,淀橋太郎,滝大作編 リブロポート 1985年)
  • 『パン猪狩の裏街道中膝栗毛』(白水社、1986年)
  • 古川ロッパ昭和日記』(監修担当。戦前篇、戦中篇、戦後篇、晩年編の全4巻、晶文社、1987年~1989年、2007年新版)
  • 『おーいNHK』(コア出版、1989年)
  • 『とんぼを切りたかったコメディアン』(晶文社、1992年)
  • 『お父さんのルネサンス』(メトロポリタン、1998年)
  • 『小説 お江戸でござる』(PHP研究所、2011年)
  • 『笑いの花伝書』(講談社、2013年)

作詞

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  • 正式の証明(歌:所ジョージ、補作詞:所ジョージ、作曲:所ジョージ)
  • 香港&東京(香港対東京比較的考察的風刺歌)(歌:所ジョージ、作曲:所ジョージ、編曲:クニ河内)

映画

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演劇

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  • PARCO劇場『鷺娘』(演出、1984年)
  • 東八郎劇団『スラップスティック・サラダ』(演出、1984年)
  • 赤塚不二夫総指揮『Oh!Sono.Sono!』(共同で作・演出、1986年)
  • 劇団離風霊船『さくら』(演出、1990年)
  • 劇団東京ヴォードヴィルショー『にくいあんちくしょう』(作・演出、1991年)
  • 劇団東京ヴォードヴィルショー『その場しのぎの男たち』(演出、1992年、1994年)
  • 劇団東京ヴォードヴィルショー『アパッチ砦の攻防』(演出、1996年、1997年)
  • 瀧組『地球SOS!』(作・演出、1997年)
  • ザ・ニュースペーパー『Stand Up Comedy』(演出、1998年)
  • 瀧組『60億-1 この地球から一人消えても』(作・演出、1998年)

脚注

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  1. ^ 高平哲郎「あくまで人名辞典」たのしみは食べるなら肉、笑うなら福「滝大作」
  2. ^ 滝大作『笑いの花伝書』講談社
  3. ^ 堀勇良「龍土町建築探偵団誌私稿」『路上観察学入門』赤瀬川原平藤森照信南伸坊 他、筑摩書房ちくま文庫〉、1993年、292頁

関連項目

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