滝川征盛
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滝川 征盛(たきがわ まさもり、寛永17年(1640年) - 寛文7年6月22日(1667年8月11日))は、江戸時代初期の旗本。滝川直政の子。母は滝川法直の娘。通称は左兵衛、十大夫、与三右衛門。妻は安藤正珍の娘。子に滝川元長、須田資生。
家祖は大原資征といい、尾張国に来て浅井信濃守に仕えて、木全光信の娘を室に迎えた。浅井家に仕えた木全征詮、浅井家、次いで滝川家に仕え、「木全の槍」といわれた槍の名人忠澄と続き、忠征の時滝川一益の寵を受け、滝川姓を名乗ることを許され滝川姓となった。のちに尾張藩老職を勤めた忠征の子が法直で、直政、征盛と続く。
慶安元年12月11日(1649年1月)、父の跡を継ぎ小普請となる。万治2年(1659年)7月11日、小姓組番士となる。寛文7年(1667年)に没する。行年28歳。法名一透。