エディ藩
エディ藩 | |
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出生名 | 潘廣源 |
生誕 | 1947年6月22日(77歳) |
出身地 | 日本・神奈川県横浜市山下町 |
学歴 | 関東学院大学 |
ジャンル | グループ・サウンズ |
職業 | ボーカリスト・ギタリスト |
担当楽器 | ボーカル・ギター |
活動期間 | 1967年 - |
共同作業者 | ザ・ゴールデン・カップス |
著名使用楽器 | |
フェンダー・テレキャスター |
エディ藩(エディ ばん、Eddie Ban、1947年6月22日 - )は、ギタリスト、ボーカリスト。本名は潘 廣源。神奈川県横浜市山下町出身。中国国籍[1][2][3]。
※1946年生まれの可能性あり。ザ・ゴールデン・カップスのメンバーはデビュー時に所属事務所から1歳サバを読むように指示されていた[4][5]。1951年生まれのギタリスト・李世福[6]は、インタビューでエディ藩のことを5つ年上だと話している[7]。
※日本に帰化したという情報もある[8][5]一方で、「華僑」だとする情報[9][10]もあり、現状の特定は困難。
経歴
[編集]1947年6月22日、横浜市山下町で誕生。実家は中華料理の老舗・名店であった「鴻昌」[2][3](現在は閉店[11][12])。
小学校はインターナショナル・スクールに通う[2]。
中学校は関東学院中学校に入学し[13]、この頃からギターに興味を持つ[2][14]。香港で高価なギター機材を買い揃えたこともあり[15][14]音楽仲間が増えて、後にゴダイゴのマネージャーとなるジョニー野村(1~2歳年上)らと知り合う[16]。
高校は関東学院高等学校に通い[17]、ジョニー野村らとザ・ファナティックスを結成して注目を集める。このバンドには一時期デイヴ平尾(2~3歳年上)も在籍していた[18][2][3]。
※なお、高校に関してはセント・ジョセフ・カレッジに転校したという情報もある[3]が、のちに関東学院大学へ進学していることから、転校せずにそのままだった可能性もある。もしかすると、エディ藩が通っていた小学校がセント・ジョセフ・カレッジ(インターナショナル・スクール)だったのと、ジョニー野村とザ・ファナティックスの初期メンバーであった聘珍樓の林康弘[19][20][21]の二人がともに高校まで通っていたのがセント・ジョセフ・カレッジだったので、それらが混同したのかもしれない。また、同じ横浜出身の中華系ギタリスト・陳信輝[22]や李世福との関係が「先輩」や「後輩」で語られることに起因して、中華学校や武相高校に在学していたと書かれたこともあった[23]。実際、李世福はインタビューでエディ藩が中華学校の先輩だと答えている[7]。
1966年4月、関東学院大学に入学する[17]。すでにザ・ファナティックスは解散しており、学校は学生運動が盛んで休講が多かったことから、渡米して音楽的知識を吸収すると共に音楽的技術を磨く[24][2][18][3][14]。渡米中に偶然出会ったデイヴ平尾(本名:平尾時宗)[25][2][18][3]と、帰国後に平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)を結成[3][18]。1967年6月、「いとしのジザベル」でデビュー[2][3][1][18]。リードギター担当としてバンドの中心的存在となる[3]。
1969年4月25日、エディ藩グループ結成のためザ・ゴールデン・カップスを脱退[1][3][26][27]。
1970年1月1日付でザ・ゴールデン・カップスとエディ藩グループとが合併。ザ・ゴールデン・カップスに復帰する形となる[1][3][26][27]。
1972年1月2日付でザ・ゴールデン・カップスが正式に解散[27][1][18][14]。その後は様々な音楽関係者と関わる中で自身の作品も残す[2][3][26][28][29][30][14]。
1980年代中盤~1990年代中盤は、「鴻昌」の経営に注力[1][3]して音楽活動を控えていたが、1990年代後半から音楽活動を再開[3]。
2003年、ザ・ゴールデン・カップス再結成。音楽番組への出演やライブハウスでの演奏を続け、現在に至る[3][1]。
ディスコグラフィー
[編集]- エディ藩とオリエント・エクスプレス/その1 日本コロムビア 1974年6~7月発売
- エディ藩とオリエント・エクスプレス/1974ワンステップ・フェスティバル スーパーフジ 2019年4月発売
- エディ藩とスーパー・セッション・バンド/ベイサイド・スウィンガー 日本コロムビア 1976年10月発売
- ブルー・ジェイド 東芝EMI 1982年2月発売
- ネオン・シティ 東芝EMI 1982年10月発売
映画音楽
[編集]出演映画
[編集]- ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム(2004年11月20日)
- 『歌謡曲だよ人生は』(2007年5月12日)
- 『オース!バタヤン』(2013年5月18日)に、夫人の潘しのぶと共にカメオ出演している。
関連項目
[編集]- エディ藩作曲の「横浜ホンキー・トンク・ブルース」をカバーした人物
- ジョー山中
- 中村裕介
- 李世福
- ゴダイゴ
- ナポレオン党
- 山崎洋子(著作「天使はブルースを歌う」で言及。「丘の上のエンジェル」で作詞を担当)
外部サイト
[編集]- 日本ロック名鑑「エディ藩」http://www.studio-g3.com/whoswho/02-eddieban.htm
- 日本ロック名鑑「エディ藩グループ」http://www.studio-g3.com/whoswho/02-eddiebangroup.htm
- 日本ロック名鑑「エディ藩とオリエント・エクスプレス」http://www.studio-g3.com/whoswho/02-eddiebang6-orient.htm
- 日本ロック名鑑「エディ藩とスーパー・セッション・バンド」http://www.studio-g3.com/whoswho/02-eddiebang7-session.htm
- ザ・ゴールデン・カップスのプロフィール(2004)https://www.barks.jp/news/?id=1000003762
- ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!「エディ藩編」(2021)
- ①https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/219159②https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/220807③https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/11367④https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/11359⑤https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/19413⑥https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/27753⑦https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/35490⑧https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/44790⑨https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/60048⑩https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/63727⑪https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/67385⑫https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/69395
- 大人のミュージックカレンダー「エディ藩」(佐々木雄三著 2018)http://music-calendar.jp/2018062201
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g “プロフィール”. BARKS (2004年11月18日). 2024年2月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “本日はザ・ゴールデン・カップスの“伝説のギタリスト”エディ潘の誕生日”. music-calendar.jp. 2024年2月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “日本ロック名鑑”. www.studio-g3.com. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “気ままに生きる(26/203) | 小説サイト ベリーズカフェ”. 小説サイトBerry's Cafe -ベリーズカフェ-. 2024年2月22日閲覧。
- ^ a b “ルイズルイス加部の現在!身長や家族・病気と死因【イケメンハーフ歌手】 | Arty[アーティ|音楽・アーティストまとめサイト]”. arty-matome.com. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “李世福プロフィール”. 李世福|Official Web Site. 2024年2月22日閲覧。
- ^ a b sabadragon (2020年6月15日). “【INTERVIEW】李世福『LIVE 1976』”. indiegrab. 2024年2月22日閲覧。
- ^ “岸部四郎、マモル・マヌーともに71歳の死…「GSブーム」とは何だったのか(小泉 カツミ) @gendai_biz”. 現代ビジネス (2020年9月24日). 2024年2月20日閲覧。
- ^ “さまよう血 - 思いがけない依頼”. ウェブマガジン「あき地」. 2024年2月20日閲覧。
- ^ イエロードッグ (2020年9月22日). “B面に恋をして。: フェンスの向こうはアメリカ。本牧とゴールデンカップス(2)”. B面に恋をして。. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “中華街大通りの老舗「鴻昌」が閉店 - 中華街ランチ探偵団「酔華」”. goo blog. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “横浜パラダイス(16) 横浜中華街の思い出(1) エディ藩さん「鴻昌」”. 横浜パラダイス (2016年9月24日). 2024年2月20日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2023年8月18日). “【ぴいぷる】エディ藩×藤竜也、横浜のレジェンドが紡いだ名曲誕生から46年 最新映画で再び主役とエンディングテーマで〝共演〟(1/3ページ)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2024年2月20日閲覧。
- ^ a b c d e 『ロック画報12』株式会社ブルース・インターアクションズ、2003年6月25日、34-37頁。
- ^ “【昭和ロックを語る時が来た!】中3の時に香港で買ってもらったフェンダー2本とギブソンのアンプ”. 東スポWEB (2021年1月31日). 2024年2月20日閲覧。
- ^ “【昭和ロックを語る時が来た!】米ディズニーランドで見た!!ジェフ・ベック時代のヤードバーズ”. 東スポWEB (2021年2月21日). 2024年2月20日閲覧。
- ^ a b “エディ藩◆横浜ホンキートンク・ブルース タブレット純のかながわ昭和歌謡波止場(29)”. カナロコ by 神奈川新聞. 2024年2月20日閲覧。
- ^ a b c d e f “121.ザ・ゴールデン・カップス | 素敵なミュージシャン達 - 楽天ブログ”. plaza.rakuten.co.jp. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “第274回 株式会社聘珍樓 代表取締役 林康弘氏【飲食の戦士たち:株式会社キイストン特別コラム】”. in-shoku.info. 2024年2月22日閲覧。
- ^ “tousai”. www.oisii-net.co.jp. 2024年2月22日閲覧。
- ^ “スピード・グルー&シンキは終わらない。陳信輝と李世福が語る60~70年代横浜ロック史”. Mikiki. 2024年2月22日閲覧。
- ^ “日本ロック名鑑”. www.studio-g3.com. 2024年2月22日閲覧。
- ^ “intro”. www.goldencups.com. 2024年2月23日閲覧。
- ^ “【昭和ロックを語る時が来た!】ニューオーリンズで聴いて衝撃!ブルースのルーツはやっぱり黒人 音の厚みが違った”. 東スポWEB (2021年3月21日). 2024年2月20日閲覧。
- ^ “【昭和ロックを語る時が来た!】ヴァン・モリソンが在籍したゼムのコンサートで後にバンドを組むデイヴ平尾と遭遇”. 東スポWEB (2021年3月7日). 2024年2月20日閲覧。
- ^ a b c “エディ藩グループ”. www.studio-g3.com. 2024年2月20日閲覧。
- ^ a b c “【昭和ロックを語る時が来た!】エディ藩が明かす 柳ジョージの加入とカップス解散の真相”. 東スポWEB (2021年6月20日). 2024年2月20日閲覧。
- ^ “エディ藩とオリエント・エクスプレス”. www.studio-g3.com. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “エディ藩とスーパー・セッション・バンド”. www.studio-g3.com. 2024年2月20日閲覧。
- ^ “【昭和ロックを語る時が来た!】エディ藩が語るカップス解散後 ショーケンから頼まれた松田優作への伝言”. 東スポWEB (2021年7月4日). 2024年2月20日閲覧。