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潮江城の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
潮江城の戦い
戦争戦国時代 (日本)
年月日1560年5月29日
場所潮江城(現高知県高知市筆山町)周辺
結果:長宗我部軍の勝利
交戦勢力
長宗我部軍 本山軍
指導者・指揮官
長宗我部国親
長宗我部元親
森孝頼
戦力
800 20
損害
長宗我部元親の戦い

潮江城の戦い(うしおえじょうのたたかい)は永禄3年(1560年5月29日戦国時代土佐国に割拠していた長宗我部氏本山氏の家臣・森孝頼の居城・潮江城で行われた合戦。筆山北高見の戦いとも呼ばれる。

背景

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長宗我部氏本山氏の軍事争いが活発化する中、長宗我部元親が初陣した合戦・長浜の戦いが発生。戸ノ本の戦いで、長宗我部氏が本山氏を圧倒すると次第に本山氏の軍が劣勢になり、長浜の戦いで長宗我部氏が大勝した[1]

合戦経過

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戸ノ本の戦いで勝利した長宗我部元親は、宇津野山から長浜城支城である潮江城を見据えた時、城内が無人であると考え、長宗我部国親秦泉寺豊後などの反対意見を押し切り、手勢800人で火縄銃を持って城内に侵入。この時城主であった森孝頼は既に潮江城から逃走しており、大量の旗本と長浜城の戦いの残兵、僅かな兵しか城内にはおらず、合戦開始から間もなく潮江城は落城した。

戦後の影響

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潮江城は長宗我部氏の領土に変更。 城主の森孝頼は幼少の身だった為、岡豊に逃げ延びた後、長宗我部国親を頼った。 後に長宗我部元親に主君を変更。 対本山戦にて活躍した森孝頼が再び潮江城の城主になった。

脚注

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  1. ^ 歴人マガジン編集部. “【四国の覇者:長宗我部元親】土佐一国から四国統一を目指した男の一生”. 歴人マガジン. 2021年11月14日閲覧。