渋沢芳昭
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しぶさわ よしあき 渋沢 芳昭 (澁澤 芳昭) | |
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生誕 |
1929年9月12日(95歳) 大日本帝国・東京府東京市(現・東京都) |
職業 |
実業家 銀行員 著述家 セントルイス日本会会長(1998年-2018年) |
配偶者 | あり |
子供 | 長男・渋沢健 |
親 |
父・渋沢智雄 母・渋沢節子 |
親戚 |
曾祖父:渋沢栄一 曾祖父:橋本実梁 祖父:渋沢篤二 伯父:渋沢敬三 伯父:渋沢信雄 従兄:渋沢雅英 従弟:渋沢裕 従兄違:渋沢田鶴子 義弟:山本正 (日本国際交流センター理事長) |
栄誉 | 旭日双光章(2008年) |
渋沢 芳昭(しぶさわ よしあき、旧字体:澁澤 芳昭、1929年〈昭和4年〉9月12日[1] - )は、日本の実業家、著述家、セントルイス日本会元会長(第7代-10代)[2][3][4]。曽祖父は渋沢栄一、祖父は渋沢篤二、父は渋沢智雄。長男に実業家の渋澤健。従兄弟に渋沢雅英、渋沢裕、渋沢彰。
経歴
[編集]1929年、子爵・渋沢栄一の孫・智雄(実業家)と妻節子の長男として誕生する。芳昭が生まれる前年の1928年に父の智雄が分家していたため、幼少期は分家の跡取りとして育てられたという。
戦後間もない1947年4月に父の智雄を亡くす。以降は一家の大黒柱として懸命に働いたという。1956年、東京外国語大学卒業[5]。
長男・健が誕生した後に仕事の都合により、一家でアメリカに転勤したため、長男健は日本の大学ではなくアメリカの大学で学んだ。
また、実業家として活動する傍ら1998年から2018年まで20年に渡ってセントルイス日本会会長(第7代、8代、9代、10代会長)を務め、2008年には旭日双光章を受章している。
家族
[編集]- 渋沢家
- 母・節子(中村勇三郎の姉)
- 弟・芳則
- 弟・芳純
- 妹・百合子
- 妹・加代子
- 長男・健(1961年 - )
- 親戚
系図
[編集]→「渋沢氏 § 系図」を参照
著書
[編集]- 「銀行員の英会話」(1964年)。
脚注
[編集]- ^ 『会社ガイドブック 1972 下巻』(毎日新聞社、1971年)
- ^ 『人事興信録 第12版 上』シ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月31日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第13版 上』シ47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月31日閲覧。
- ^ “閨閥学-偉人たちの家系図・子孫・経歴- 婚姻により構築される一族の繋がり 渋沢家(渋沢栄一・渋沢正雄・渋沢武之助の家系図・子孫)”. 2022年12月31日閲覧。
- ^ https://dl.ndl.go.jp/pid/11915229/1/908