澁谷工業
本社 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒920-8681 石川県金沢市大豆田本町甲58番地 |
設立 | 1949年6月21日 |
業種 | 機械 |
法人番号 | 7220001003337 |
事業内容 |
パッケージングプラント事業 (ボトリングシステム、製函包装システム、ロボットシステムなどの製造) メカトロシステム事業 (半導体製造装置、切断加工システム、医療機器などの製造) |
代表者 | 代表取締役社長 澁谷英利 |
資本金 | 113億92百万円 |
売上高 |
単体826億円 連結1,154億円 (2024年6月期) |
営業利益 |
単体95億79百万円 連結133億82百万円 (2024年6月期) |
純利益 |
単体74億75百万円 連結97億81百万円 (2024年6月期) |
純資産 |
単体813億円 連結1,010億円 (2024年6月末現在) |
総資産 |
単体1,300億円 連結1,619億円 (2024年6月末現在) |
従業員数 |
単体2,389名 連結3,757名 (2024年6月末現在) |
決算期 | 6月末 |
外部リンク | https://www.shibuya.co.jp/ |
澁谷工業株式会社(しぶやこうぎょう)は、石川県金沢市に本社を置く日本の機械メーカーである。
ボトリングシステム(飲料、調味料、医薬品、化粧品などの液体充填システム)の製造で国内トップシェアであり、世界でも大きなシェアを占める。
近年では、iPS細胞を用いた再生医療の機械装置メーカーとして世界初の技術をいくつか開発している。
JPX日経中小型株指数の構成銘柄の一つ[1]。
概要
[編集]1931年に創業した、蒸した酒米を広げる際に使う麻布を扱う「澁谷商店」が前身である[2]。
1953年、2本の一升瓶の内外を同時に洗浄できる「二連式瓶洗機」を開発し、当時手洗いだった中小メーカーの作業効率化に貢献した[3]。「二連式瓶洗機」は2011年、石川県の「いしかわモノづくり産業遺産」に認定された[3]。
1955年にボトリングシステムの市場に参入[4]。この頃は三菱重工業、日立造船など10社を超える企業が先行していたが、大手は欧米の技術を導入していたため、同じ型の瓶に充填する大量生産型のモデルだった[4]。小規模の清酒メーカーより種類の違う瓶に充填できる機械がないという声を聞き1959年に開発したものの、最初に納めた愛媛県の清酒メーカーでは軽くて倒れやすい二合瓶が割れるばかりだった[4]。その後は改善されて多品種の瓶に対応できるようになり、小規模の清酒メーカーが購入するようになった[4]。その後ボトリング機械に専念し、ジュースや洋酒メーカーなどにも手を広げていった[5]。
1970年代後半、消費者ニーズの多様化によって瓶の形も様々な物が使われるようになり、ボトリング装置も一台で多くの種類の瓶に対応することが求められるようになったため、澁谷工業はシェアを伸ばした[5]。さらにレーザーでラベルに製造年月を印字する技術の導入などによって他社との差別化を図り、1980年頃には国内シェアでトップとなった[4]。
1985年、大学教授からのアイディアをもとにレーザーを利用した水虫治療器を開発したが、600万円と高額だったため全く売れなかった[4]。しかし、医療機器分野へ進出したという報道から話が進み、1991年から開発を始めた人工透析器は2004年時点のOEMでシェア20%となるまで成長した[4]。
1993年、医薬品の瓶詰で実績のあった無菌充填技術を応用し、ペットボトルに無菌状態で瓶詰めできるボトリング装置を開発[4]。ペットボトルの加熱殺菌が不要となったことからボトルの肉厚を薄くできるようになり、製造業者のコストダウンにつながった。樹脂製のふたをペットボトルに絞める技術の特許も開発し、ペットボトルのボトリング装置では100%近いシェアを持つようになった[4]。ボトリング装置関連は2014年時点でも売上高の64%を占めている[6]。
澁谷英利社長が三洋電機バイオメディカ(2005年に三洋電機と合併)の経営トップと顔を合わせてから話が進んでバイオテクノロジーの分野に参入し、再生医療で必要とされる細胞培養技術において、安価で小型かつ使いやすい装置の開発に乗り出した[7]。製薬企業向けに作っていたアイソレーターを改良し、2004年3月、産業技術総合研究所ティッシュエンジニアリング研究センター(当時)と三洋電機バイオメディカと共同で小型の「閉鎖型ヒト細胞培養システム」を開発し、国立病院大阪医療センターへ納めた[5]。
その後もバイオ3DプリンターRegenovaの開発[6]、山口大学との肝臓の再生医療研究の共同開発[8]、IPS細胞による網膜再生医療の研究を進めているベンチャー企業ヘリオスとの培養装置開発[6]など、再生医療分野の展開を進めている。2014年6月には、金沢テクノパーク内に日本初となる再生医療の専門工場を新設した[6][9]。
沿革
[編集]- 1931年 - 澁谷庚子智が金沢市新竪町で澁谷商店を創業。
- 1949年 - 澁谷商店を改組して澁谷工業株式会社を設立。
- 1959年 - ボトリングシステム第1号を開発。
- 1978年 - 海外メーカーとレーザマーキング装置の販売提携をしてメカトロ事業へ進出。
- 1982年 - 名古屋証券取引所市場第二部へ上場。
- 1985年 - 東京証券取引所市場第二部へ上場
- 1986年 - 東京・名古屋証券取引所市場第一部へ上場。
- 1991年 - 世界初の全自動サイズチェンジのF-CAMボトリングシステムを開発。
- 2008年 - 民事再生手続き中であったマキ製作所の事業を譲受。静岡シブヤ精機が事業を引き継ぐ。
- 2009年 - ファブリカ トヤマに対し、株式公開買付け(TOB)の開始を発表。
- 2010年 - ファブリカ トヤマ完全子会社化。
- 2010年 - 理化学研究所の網膜再生医療研究チームや株式会社ヘリオス(旧:株式会社日本網膜研究所)らと共同で、世界初のiPS細胞由来網膜色素上皮細胞の臨床応用に向けた、細胞を無菌状態で培養する機器やボトリングシステムを開発。
- 2012年 - 九州大学発のバイオベンチャー「Cyfuse」と組み、世界初の「バイオ3Dプリンター」(3次元細胞積層システム・regenova)を開発。
所在地
[編集]主要事業所
[編集]- 本社
- 〒920-8681 石川県金沢市大豆田本町甲58
- メカトロ事業部
- 〒920-0054 石川県金沢市若宮2-232
工場
[編集]- 本社工場 (石川県金沢市大豆田本町甲58)
- RPシステム森本工場 (石川県金沢市北陽台2-1)
- EBシステム森本工場 (石川県金沢市北陽台2-7)
- 進和工場 (石川県金沢進和町6番地)
- 津幡工場 (石川県河北郡津幡町字旭山1番)
- 能美ハイテクプラント (石川県能美市福島産業団地土地区画整理事業施行地区内5街区1)
グループ会社
[編集]- シブヤEDI株式会社
- シブヤパッケージングシステム株式会社
- シブヤ精機株式会社
- 株式会社根上シブヤ
- Shibuya Hoppmann Corporation
- 株式会社カイジョー
- 株式会社沖縄シブヤ
- 綜和機電株式会社
出典
[編集]- ^ JPX日経中小型株指数構成銘柄一覧 (2021年9月30日時点) jpx.co.jp 2021年10月4日公表 2021年10月8日閲覧。
- ^ 「(会社へ行こう)澁谷工業 金沢市 「ボトリング」シェア6割 /石川県」、朝日新聞 大阪地方版/石川、2009年6月17日、27頁。
- ^ a b 「いしかわモノづくり産業遺産:先人の努力の結晶 県内企業保有の27機械認定 /石川」、毎日新聞 地方版/石川、2011年11月2日、23頁。
- ^ a b c d e f g h i 「経営戦略 小さなトップ企業〜澁谷工業(ボトリング装置製造)」『日経ビジネス』第1027巻、日経BP、2000年2月7日、60-61頁。
- ^ a b c 「[特集]石川・福井伝統からの挑戦--ボトリング機で首位独自技術で新事業も--澁谷工業 石川」『週刊東洋経済』第5712巻、東洋経済新報社、2001年8月11日、111頁。
- ^ a b c d 林 英樹 (2015年4月14日). “再生医療の研究者が日参する、とある地方企業”. 日経ビジネス 記者の眼. 日経ビジネスオンライン. 2015年4月14日閲覧。
- ^ 「新しき挑戦者~〜澁谷工業の自動細胞培養装置」『日経バイオビジネス』第42巻、日経BP社、2004年11月1日、110-112頁。
- ^ 「澁谷工業-山口大、肝臓の再生医療研究で共同開発」、化学工業日報、2013年8月27日、10頁。
- ^ “再生医療の専用工場完成 澁谷工業が金沢で”. 北國新聞. (2014年6月11日) 2015年4月14日閲覧。