浜口檐
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浜口檐 はまぐち たん | |
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生年月日 | 1872年7月7日 |
出生地 |
日本 和歌山県有田郡広村 (現和歌山県広川町) |
没年月日 | 1939年10月2日(67歳没) |
出身校 |
東京専門学校英語政治科卒業 (現早稲田大学) ケンブリッジ大学卒業 |
現職 |
豊国銀行取締役 猪苗代水力電気監査役 麒麟麦酒監査役 武総銀行取締役 |
所属政党 | 無所属 |
配偶者 | 浜口八重子 |
親族 |
父・濱口梧陵(和歌山県会議長) 義父・近藤廉平(貴族院議員) |
選挙区 | 和歌山県郡部選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1904年3月1日 - 1908年3月27日 |
浜口 檐(はまぐち たん、1872年7月7日(明治5年6月2日[1][2][3])– 1939年(昭和14年)10月2日[4][5][6])は、明治後期から昭和前期の実業家・政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]和歌山県[4]有田郡広村[5](広町を経て現広川町[6])で、実業家・7代濱口儀兵衛(濱口梧陵)の末子として生まれた[6][7][8]。1891年(明治24年)慶應義塾普通部を、1894年(明治27年)東京専門学校(現早稲田大学)英語政治科を卒業[2][3][4][5][6][7]。円覚寺に2年参禅して[6] イギリスに留学し、1902年(明治35年)ケンブリッジ大学を卒業した[2][3][4][5][6][7]。
1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙に和歌山県郡部から無所属で出馬して当選し[2][6][9]、衆議院議員に1期在任した[4][5]。この間、議員歳費を辞退して話題となる[6]。
その後、豊国銀行の設立に参画し、文書部長、取締役を務めた[2][3][4][5][6][7]。1912年(明治45年)猪苗代水力電気が設立されると入社して、庶務課長、営業課長、営業部長、監査役を歴任[4][7]。その他、麒麟麦酒監査役、武総銀行取締役などにも在任した[3][4][6][7]。
郷里の農業振興にも尽くし、富有柿の苗木数千本の無料配布、ビール麦の栽培奨励などを行った[8]。
親族
[編集]脚註
[編集]- ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第二十回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1904年、23頁。
- ^ a b c d e 『大日本人物誌』は之部35頁。
- ^ a b c d e f 『大正人名辞典 第3版』1032頁。
- ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』512頁。
- ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』362頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『和歌山県史 人物』393頁。
- ^ a b c d e f 『大衆人事録 昭和3年版』ハ59頁。
- ^ a b 『広川町誌 下巻』858頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』31頁。
参考文献
[編集]- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 昭和3年版』帝国秘密探偵社、1927年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 広川町誌編纂委員会編『広川町誌 下巻』広川町、1974年。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。