豊国銀行
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1910年の外観。 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 東京市 |
設立 | 1907年(明治40年)5月2日 |
業種 | 銀行業 |
事業内容 | 普通銀行業務 |
関係する人物 | 生田定之(頭取) |
株式会社豊国銀行(とよくにぎんこう、1907年 - 1928年、英語: The Toyokuni Bank, Ltd.)は、かつて存在した日本の都市銀行である。
概要
[編集]1907年(明治40年)、5月2日、資本金1千万円で、実業家の坂田実らが設立。
1908年(明治41年)、1月に浅草銀行、2月に浜松信用銀行、4月に三田銀行を合併した[1]。また武総銀行、本郷総業銀行も合併。
1916年(大正5年)、12月21日、興銀、帝国商業銀行および第百三十銀行と共同で、東京・大阪の株式仲買人シンジケートに対し、日銀資金による救済融資を決定し、12日23日に実施した。融資額は、東京が574万円・大阪が640万円[2]。同年は渋沢栄一が引退を表明。
1928年(昭和3年)、2月に昭和銀行に吸収合併され消滅。
経営者
[編集]- 齋藤福之助(営業部長、従弟に斎藤善八。内閣法制局長官尾崎三良男爵娘婿)
- 永見勇吉(総支配人) [3]
- 坂田実(発起人の一人、専務。日本銀行。阪谷芳郎博士従兄。日本海上倉庫、日本緬羊毛織の発起人)
- 生田定之(頭取。豊川良平の推薦で日本銀行から転職。)
- 浜口吉右衛門(九州水力電気社長)
- 嵯峨實勝(貴族院侯爵議員、父に嵯峨公勝)
- 遠山市郞兵衞(総支配人、遠山商店)[4]
- 末延道成(頭取、東京海上火災保険、貴族院議員)
- 伊藤幸太郎(取締役。千住吾妻汽船、衆議院議員)[5]
脚注
[編集]- 注釈
- 出典
参考文献
[編集]- 「一流銀行を圧する豊国銀行の特長」。遠間平一郎『事業及人物』。中央評論社、1915年。