瀧本憲治
瀧本 憲治(たきもと けんじ、1972年1月3日[1] - 2021年6月8日)は、日本の実業家。父は実業家の瀧本泰行、母は実業家の瀧本文江である。慶應義塾大学商学部卒業、株式会社maneoマーケット元代表取締役。同社の多発するファンドの延滞の責任を取って経営改善委員会から役員から退くように提言されていたが[2]、2021年6月8日、日比谷公園の多目的トイレ内で自殺しているのが発見された[3][4]。
人物
[編集]1972年、神奈川県横浜市生まれ(東京都立川市とも[1])。父親が事業で成功するまでは公団住宅で暮らし、小遣い稼ぎに新聞配達もした[5]。 中学卒業後、私立の全寮制高校に入学するも中退。中退後、再度東京都立府中高等学校に入学。トラック運転手などして一時働きはじめるが、慶應義塾大学商学部へ入学、卒業後はセブンイレブン・ジャパンに就職したが、本格配属を前に父親の会社に転職。しかし父親の会社の事業承継に失敗し、会社は上場企業に売却されたため、コンサルタント業で独立、輸入建材会社・警備会社などの役員となった。
ホリエモンの近鉄買収を見てファイナンス業への転身を考え、木村勝男に貸金業を学ぶため2005年に木村のUBI株式会社へ入社、不動産取引に従事。2009年にUBIfinance社(現:株式会社リクレ)を創業。企業への融資業務を本格化。2012年にmaneo社購入、2013年9月、同社・maneoマーケット社の代表就任。
同年11月、UBIfinance株式会社代表取締役として、同社から田辺順一の100%所有するカタリスト株式会社を通じて、JALCOホールディングス株式会社に金銭を貸し付けた[6]。
2018年、金融庁からmaneo社の業務改善命令が出され、2019年9月、同社の持ち株売却し退社。2018年に師匠の木村、2019年に父親を相次いで失う。
2020年に、融資先のテラ (医療サービス) 社と新型コロナ治療薬の共同開発を行なうというセネジェニックス・ジャパンに10億円超を出資し顧問となる。同社役員に騙されていたことを知り、2021年1月ころより「テラセネ劇場・カネと嘘」という告発ブログを立ち上げるなど、同社の違法行為を追及し始める[7]。
2021年3月、セネジェニックス・ジャパンによるテラ社の株価操作が疑われ捜査が始まる(テラ事件)[8]。同年5月、億単位で融資していた太陽光発電関連会社「テクノシステム」の社長らが詐欺容疑で逮捕される[5]。
2021年6月、日比谷公園の多目的トイレ内で遺体で見つかり、鍵がかかっていたことなどから手首を切っての自殺と判断された[3][4][7]。
著書
[編集]- 『セカンドマネーを創りなさい! 勝負しないで勝率99%! 利回り8%のインカムゲイン投資法』2013/1/18(ぱる出版)
脚注
[編集]- ^ a b 亀岡大郎のトップ対談 投資家1万3000人から1000億円を調達 瀧本 憲治 社長 - 全国賃貸住宅新聞 2018年2月12日号
- ^ “2019/03/29 お知らせ「経営改善に向けた提言書の受領に関して」|maneo(マネオ)|ソーシャルレンディング”. www.maneo.jp. 2019年3月30日閲覧。
- ^ a b 「金融界の革命児」の死…ソーシャルレンディング大手・元社長に“何が”あったのか現代ビジネス# 金融・投資・マーケット# 不正・事件・犯罪
- ^ a b SBI子会社が廃業、「ソーシャルレンディング」で不祥事が続発する理由ダイヤモンドオンライン2021.6.24 4:35
- ^ a b 凄腕社長はなぜ「日比谷公園のトイレ」で「怪死」したのかフライデー、講談社、2022年04月18日
- ^ 第三者割当による新株式発行(金銭出資及びデット・エクイティ・スワップ)及び主要株主の異動に関するお知らせ大量保有報告書速報 - 株主プロ
- ^ a b 日比谷公園で「怪死」した凄腕社長が本誌に語っていたことフライデー、講談社、2022年04月15日
- ^ 負債1億円で東大発ベンチャーが倒産。自殺者まで出た“株券印刷業”の末路/2022年下半期BEST10bizSPA!フレッシュ 2022.12.23
関連項目
[編集]外部リンク
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