瀬戸恵子
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瀬戸 恵子(せと けいこ〈本名同じ〉、1966年4月25日[1] - )は、元タレント、女優。別名は、ねいちゃーけいこ、喜多恵子。静岡県熱海市出身。
来歴
[編集]- 中学2年生の時に『東京宝映(現:宝映テレビプロダクション)』に入所する[1][註 1]。15歳で単身上京。
- 1982年、昼ドラマ『燃える女(妻そして女シリーズ)』に子役として抜擢され、これが実質的な女優デビューとなった[1]。
- 以後、1983年に『おはようスタジオ』のレギュラーとなった他、1984年の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』では、ミニドラマで斉藤清六と共演するなどタレントとしても活躍。しかし、1986年には芸能界から距離を置くことになる[註 2]。
- 1998年、女優再デビュー[2]。Vシネマ やセクシー系映画・ビデオに出演。誕生から半世紀以上になる日本の成人映画史上において、本名で出演を果たしたというのは極めて稀有な存在である。
- 2006年8月、思春期保健相談士(日本家族計画協会主催)習得をきっかけに活動休止を宣言。
- 2018年12月、12年間の充電休業を終え、生涯表現者として生きることを決意。
人物
[編集]- シンガーソングライターとしても活動。
- 日本共産党の候補者であった瀬戸恵子とは、同姓同名の別人である。
出演
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 本来は歌手志望であったため、それまで数多くのオーディションを受け続ける。あるラジオの歌番組に応募、本選に出場した際に審査員の先生から「これからは可愛いだけじゃダメなんだよねぇ。あなたはまだ若いから、もっともっと人生経験を積んで本当の歌を唄えるように、これからを頑張って生きなさい」との助言をもらったことが役者への志を決定付けた、と後に述懐している。『歩み〜第一期 転機の言葉』公式HPより、2007年閲覧。
- ^ この時の理由については、『欽どこ』出演でアイドル的な人気が高まったことにより、「汚れ役をやりたい」という自分の意向と周囲の扱いの間に生じたギャップに悩んだ結果、と語っている。『ニャン2倶楽部Z』(コアマガジン)2000年1月号、インタビューにおいて。
出典
[編集]- ^ a b c 週刊テレビ番組(東京ポスト)1984年8月10日号 p.40「プロフィール」
- ^ 日本映画データベース 瀬戸恵子 より。