瀬戸町 (長崎県)
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せとまち 瀬戸町 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 多以良村、松島村、瀬戸町、雪浦村 → 大瀬戸町 |
現在の自治体 | 西海市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 西彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,907人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 西彼杵郡多以良村、大串村、雪浦村 |
瀬戸町役場 | |
所在地 | 長崎県西彼杵郡瀬戸町樫浦郷 |
座標 | 北緯32度55分59秒 東経129度38分35秒 / 北緯32.93311度 東経129.64297度座標: 北緯32度55分59秒 東経129度38分35秒 / 北緯32.93311度 東経129.64297度 |
ウィキプロジェクト |
瀬戸町(せとまち)は、長崎県の西彼杵半島にあった町。西彼杵郡に属した。1955年(昭和30年)に隣接[1]する多以良村、雪浦村および島嶼部の松島村と合併し、大瀬戸町となった。
現在の西海市大瀬戸町の中部、瀬戸地区にあたる。
地理
[編集]西彼杵半島の西部に位置し、南西の海岸線を角力灘(五島灘)に接する。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、西彼杵郡瀬戸村が単独村制にて発足。
- 1928年(昭和3年)6月1日 - 瀬戸村が町制施行し瀬戸町となる[3]。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 西彼杵郡多以良村、松島村、雪浦村と合併して大瀬戸町が発足し、瀬戸町は自治体として消滅。
地名
[編集]郷を行政区域とする。瀬戸町は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。(発足当初は瀬戸村)
- 板浦郷(いたのうら)
- 樫浦郷(かしのうら)
- 下山郷(したのやま)
- 西濱郷
- 羽出川郷(はでがわ)
- 東濱郷
- 福島郷
名所・旧跡
[編集]脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年2月1日
- ^ 大瀬戸町発足以降に海域が埋め立てられ、昭和40年代までに陸続きとなった。
※島嶼部の参考写真:USA-M4-27-3 1952年4月27日 米軍撮影の空中写真(国土地理院地図・空中写真閲覧サービス) - ^ 長崎縣告示第三百三十八號 西彼杵郡瀬戸村を瀬戸町となすの件 長崎県公報 昭和3年5月30日付号外
- ^ 羽出川郷に所在。古代から中世にかけて滑石(かっせき)製石鍋を生産していたとされる遺跡。「ホゲット」とは、九州地方の方言のひとつである「ほげる」が転化したもので、当遺跡周辺の小字にホゲットウを称する地域が存在する。
※参考地図:長崎県西海市大瀬戸町瀬戸羽出川郷 ホゲット石鍋製作所遺跡 地理院地図(電子国土Web) - ^ ホゲット石鍋製作所遺跡 文化遺産オンライン