瀬田玉川神社
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瀬田玉川神社 | |
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所在地 | 東京都世田谷区瀬田 4-11-31[1] |
位置 | 北緯35度37分12秒 東経139度37分33.3秒 / 北緯35.62000度 東経139.625917度座標: 北緯35度37分12秒 東経139度37分33.3秒 / 北緯35.62000度 東経139.625917度 |
主祭神 | 大己貴命 少彦名命 日本武尊[2] |
社格等 | 村社[3] |
創建 | 永禄二年(1559年)[4] |
別名 | おみたけさん[5] |
例祭 | 例大祭 十月第三土、日曜日[4] |
瀬田玉川神社(せたたまがわじんじゃ)は、東京都世田谷区瀬田にある神社。大山道(矢倉沢往還)に面しており、慈眼寺と隣接している。
祭神
[編集]祭神として以下を祀っている[6]。
歴史
[編集]永禄年中(1558〜1570年)に、この村の下屋敷に創建されたが、1626年(寛永3年)に長崎四郎左衛門嘉国が寄進して現在地に移転した[7]。
神社は国分寺崖線上の高いところにあることから、長らく御嶽神社(みたけじんじゃ)と呼ばれていた。1874年(明治7年)に村社となる[3]。1906年(明治39年)の勅令によって進められ神社合祀に基づき、1908年(明治41年)に他の、八幡社、熊野社、大神宮(天祖社)、六所宮などを合祀して玉川神社となり、後に瀬田玉川両地区の氏神様として瀬田玉川神社と呼ばれるようになった。1914年(大正3年)に社殿は改築され、1923年(大正12年)の関東大震災の被害で補修された。境内には樹齢7〜800年の東京都指定天然記念物の大きな黒松(高さ約25メートル、目通り3.77メートル)があったが、1966年(昭和41年)9月24日に台風26号の猛襲で地上10メートル付近で主幹が折れて社務所を大破させ、のちに枯死した[8][9]。これを機に1968年(昭和43年)に社殿及び社務所が再建された[4][5]。
境内
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社号標と鳥居
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唐破風向拝を持つ拝殿
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境内末社の稲荷神社
飛地境内末社
[編集]飛地境内末社として、瀬田4丁目の一角にある稲荷神社。境内は公園になっている。 かつては正一稲荷様とも言われていた[10]。 二子玉川に遊廓が増え伝染病が広がった頃に病気治癒を願って創られた[11]。
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瘡守稲荷神社
年中行事
[編集](特に明記なきものは「ふるさと世田谷を語る[12]」を参照)
- 1月1日 歳旦祭
- 1月14日 お日待ち
- 4月1日 祈年祭
- 7月25日 大山祭り
- 9月1日 風神祭(風祭り)
- 10月第三土日曜日 例大祭
- 12月1日 新嘗祭
- 12月27日 大祓い
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瀬田玉川神社例大祭 神輿渡御 2014年
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瀬田玉川神社例大祭 昭和50年代
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瀬田玉川神社例大祭 玉川通り 2014年
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瀬田玉川神社例大祭 二子玉川駅コンコース 2014年
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 世田谷区長室広報課 1980, p. 126.
- ^ 東京都神社庁 1986, p. 317.
- ^ a b 田中博 1934, p. 131.
- ^ a b c 世田谷区総務部文化課 1993, pp. 74–76.
- ^ a b 世田谷区神社総代会運営委員会 1987, pp. 116–117.
- ^ 東京都世田谷区教育委員会 1987, pp. 85–86.
- ^ 公式サイト.
- ^ 『文化財の保護 第2号』(1970年)23-24頁には、この松の名称が「瀬田の玉川神社のアカマツ」と記述されている。
- ^ 東京都教育委員会 1970, p. 23-24.
- ^ 世田谷区総務部文化課 1993, pp. 79.
- ^ 世田谷区神社総代会運営委員会 1987, p. 119.
- ^ 世田谷区総務部文化課 1993, pp. 75–77.
参考文献
[編集]- 世田谷区長室広報課 編『せたがやの散歩道』東京都世田谷区教育委員会、1980年。
- 東京都神社庁 編『東京都神社名鑑 上巻』東京都神社庁、1986年。
- 世田谷区総務部文化課 編『ふるさと世田谷を語る-玉川台・瀬田・玉川-』世田谷区総務部文化課、1993年。
- 世田谷区神社総代会運営委員会 編『郷土を知ろう あなたの町の鎮守様』世田谷区神社総代会、1987年。
- 田中博 編『玉川沿革誌 : 附・名所旧蹟案内』田中博、1934年。
- 東京都教育委員会 編『文化財の保護 第2号』東京都教育委員会、1970年。
- 東京都世田谷区教育委員会 編『世田谷区神社台帳』東京都世田谷区教育委員会、1987年。
関連文献
[編集]外部リンク
[編集]- “瀬田玉川神社”. 2020年6月13日閲覧。