瀬良垣苗子
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生誕 | 1938年 |
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出身地 |
日本 沖縄県中頭郡具志川村 |
死没 | 2016年 |
ジャンル | 沖縄民謡 |
職業 | 民謡歌手、三線奏者 |
担当楽器 | 三線 |
活動期間 |
1960年 - 1992年, 1998年 - 2002年頃 |
瀬良垣 苗子(せらがき なえこ、1938年 - 2016年)は、沖縄民謡の歌手。大城美佐子、山里ユキと並んで女性唄者の草分け的存在として挙げられる。
略歴
[編集]沖縄県中頭郡具志川村(のちに具志川市→うるま市となる)出身。三線奏者であった父・守金の影響もあり、幼少期から唄三線に親しむ。
山内昌徳に師事したのち、1960年にマルテルレコードから発売された「なーしび節」でレコードデビュー。翌1961年にはNHKのど自慢全国大会に出場。
復帰前年の1971年に知名定男の作詞・作曲で発表した「うんじゅが情どぅ頼まりる」が空前の大ヒット。その後も「義理と情」「情念(なさき)」「ゆすぬ花」などの情歌を次々に発表し、ヒット。「ナビー」の愛称で親しまれ、戦後の沖縄でスター並みの人気を誇った。
1990年代を境に歌の世界から身を引き、本土へ渡って生活するなどもした。しかし晩年は沖縄へ帰郷し、2016年に読谷村にて死去。