無涯亮倪
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無涯亮倪(むがい りょうげい、生没年不詳)は、室町時代の僧侶。妙楽寺(福岡市博多区)十二世住職[1]。
略歴
[編集]医師陳外郎(大年宗寿)の子で、師は無方宗応 [2][3]。1419年京都に遊学中、応永の外寇後の朝鮮の意図を探るため、大蔵経入手を名目に足利義持の正使として派遣された[4]。翌年、回礼使の宋希璟と共に帰国した。
参考文献
[編集]- 『日朝関係史を考える』(歴史学研究会、1989年、90p)
- 『石城遺寳』(石城山妙楽寺 、1991年、32p)
- 『大応国師と崇福寺大応国師七百回忌記念特別展』(大応国師と崇福寺展実行委員会 、2007年、197p)
- 『九州中世禅宗史の研究』(文献出版、2000年、78p)
脚注
[編集]- ^ 歴史学研究会 1989, p. 90.
- ^ 大応国師と崇福寺展実行委員会 2007, p. 197.
- ^ 文献出版 2000, p. 78.
- ^ 石城山妙楽寺 1991, p. 32.
外部リンク
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