熊坂台州
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熊坂 台州(くまさか たいしゅう、元文4年4月23日(1739年5月30日) - 享和3年3月21日(1803年5月12日))は、江戸時代中期から後期にかけての儒学者、漢詩学者。名は定邦。字は子彦[1]。
概要
[編集]陸奥国伊達郡高子村(現・福島県伊達市)の豪農の子として生まれる。父に同じ漢詩学者で名勝高子二十境を生み出し、また寺子屋である白雲館を設立した覇陵、子に盤谷を持つ。1792年(寛政4年)、本邦初となる二翁事(花咲爺)、蟹猿事(猿蟹合戦)、桃奴事(桃太郎)を漢文詩にまとめた本『含餳紀事』を出版[2]。
著作
[編集]- 『西遊紀行』
- 『魚籃先生春遊記』
- 『信達歌』
- 『含餳紀事』
関連施設
[編集]- 『處士台州熊阪墓碑』
脚注
[編集]- ^ 第三版, デジタル版 日本人名大辞典+Plus,大辞林. “熊坂台州(くまさか たいしゅう)とは”. コトバンク. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “福島の児童文学者、熊坂台州”. 福島県立図書館. 2020年4月10日閲覧。
関連項目
[編集]- 谷文晁 - 台州と親交があった。