熊谷久虎
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くまがい ひさとら 熊谷 久虎 | |
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東宝映画社『東宝映画』第3巻第1号(1939)より | |
生年月日 | 1904年3月8日 |
没年月日 | 1986年5月22日(82歳没) |
出生地 | 日本 大分県中津市 |
職業 | 映画監督 |
ジャンル | 映画 |
熊谷 久虎(くまがい ひさとら、1904年3月8日 - 1986年5月22日)は、日本の映画監督。代表作に『蒼氓』 『阿部一族』『上海陸戦隊』などがある。女優の原節子は義妹(妻の妹)である。
来歴・人物
[編集]大分県中津市に生まれる[1]。大分高等商業学校卒業。1925年に日活入社。大将軍撮影所で田坂具隆の助監督につく。1930年に『恋愛競技場』で監督デビューする。1935年に多摩川撮影所へ移る。1938年に東宝映画へ移籍する。1941年の『指導物語』以降、映画界から離れ、国粋主義思想団体「スメラ学塾」を作り、教祖に近い存在で、学塾内に劇団太陽座を結成する[2]。敗戦前に、九州独立運動を起こし、のち火野葦平の『革命前後』に描かれた[3]。1949年芸研プロを創立してプロデューサーとして活動する。1953年に『白魚』で12年ぶりに監督を務めた。墓所は鎌倉市浄妙寺。
フィルモグラフィー
[編集]特記なき作品は監督のみ。
- 玉を磨く(1931年)
- 喜卦谷君に訊け(1932年)
- さらば東京(1932年)
- 三家庭(1934年) - 監督・脚本
- 情熱の詩人啄木 ふるさと篇(1936年)
- 蒼氓(1937年)
- 阿部一族(1938年) - 監督・脚本
- 上海陸戦隊(1939年)
- 指導物語(1941年)
- 東京の恋人(1952年) - 製作
- 白魚(1953年) - 監督・脚本・製作
- 美しき母(1955年)
- かくて自由の鐘はなる(1954年) - 監督・脚本・製作
- 柿の木のある家(1955年) - 製作
- ノンちゃん雲に乗る(1955年) - 製作
- 智恵子抄(1957年)
- 密告者は誰か(1958年) - 監督・脚本