熱海景良
表示
熱海 景良 あつみ けいりょう | |
---|---|
生誕 |
1899年2月23日 日本、宮城県 |
死没 |
1944年2月27日(45歳没) 日本、神奈川県 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1919年 - 1944年 |
最終階級 | 陸軍中佐 |
熱海 景良(あつみ けいりょう、1899年(明治32年)2月23日 - 1944年(昭和19年)2月27日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中佐。日本のジオイドを初めて計算した人物として知られる[1]。
経歴
[編集]1899年(明治32年)、宮城県桃生郡野蒜村に熱海安吉、ひさよの長男として出生。大阪陸軍地方幼年学校を経て、1919年(大正8年)5月28日に陸軍士官学校(31期)を卒業し、同年12月25日に工兵少尉に任官、工兵第19大隊付となる[2]。陸軍砲工学校(28期)普通科を卒業[3]後、1922年(大正11年)12月15日に工兵中尉に昇進し[4]、1923年(大正12年)12月28日、陸地測量部班員に補される[5]。
1929年(昭和4年)3月16日に工兵大尉に昇進[6]後、1933年(昭和8年)にジオイド計算の取りまとめ結果を日本天文學及地球物理學輯報に発表[7]。1934年(昭和9年)にかけて関東軍測量隊第一班付として満州の測量に従事していた[8]が、1935年(昭和10年)に病気となり同年5月9日に再び陸地測量部班員に補される[9]。1936年(昭和11年)8月1日に工兵少佐に昇進[10]。
1944年(昭和19年)2月27日に肺結核で茅ヶ崎にて死去し、没後正五位に叙せられた[11]。
栄典
[編集]- 1920年(大正9年)2月28日 - 正八位[12]
- 1923年(大正12年)1月20日 - 従七位[13]
- 1928年(昭和3年)2月15日 - 正七位[14]
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)
- 1936年(昭和11年)7月10日 - 満州国:勲五位景雲章[19]
- 1938年(昭和13年)
- 1940年(昭和15年)11月10日 - 紀元二千六百年祝典記念章[22]
著作
[編集]脚注
[編集]- ^ 「日本地学の展開 (大正13年~昭和20年) 〈その3〉―「日本地学史」稿抄―」『地学雑誌』第112巻第1号、東京地学協会、2003年、131頁、doi:10.5026/jgeography.112.131、ISSN 0022-135X。
- ^ 『官報』第2220号、大正8年12月26日。
- ^ 『官報』第2799号、大正10年11月30日。
- ^ 『官報』第3114号、大正11年12月16日。
- ^ 『官報』第3408号、大正13年1月4日。
- ^ 『官報』第663号、昭和4年3月18日。
- ^ Atumi, K. (1933). “La Déviation de la Verticale au Japon” (フランス語). Japanese Journal of Astronomy and Geophysics: Transactions and Abstracts (Tokyo: National Research Council of Japan) 10 (3): 305–312.
- ^ 「関東軍測量隊将校同相当官高等文官職員表 (昭和9年8月1日調)(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C13070947800
- ^ 『官報』第2503号、昭和10年5月10日。
- ^ 『官報』第2876号、昭和11年8月3日。
- ^ 「故陸軍中佐熱海景良位階追陞の件(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A12090440200
- ^ 『官報』第2272号、大正9年3月3日。
- ^ 『官報』第2272号、大正12年1月23日。
- ^ 『官報』第400号、昭和3年5月1日。
- ^ 『官報』第1865号、昭和8年3月22日。
- ^ 『官報』第1967号、昭和8年7月22日。
- ^ 『官報』第2822号附録、昭和11年6月1日。
- ^ 『官報』第2536号附録、昭和10年6月18日。
- ^ 『官報』第4493号、昭和16年12月29日。
- ^ 『官報』第3403号、昭和13年5月11日。
- ^ 『官報』第3513号、昭和13年9月16日。
- ^ 『官報』第4474号付録、昭和16年12月5日。
参考文献
[編集]- 「陸軍工兵中佐熱海景良のこと」『測量』第25巻第2号、日本測量協会、1975年、37頁、doi:10.11501/3226607、ISSN 0285-7790。