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片村四八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
片村 四八
生誕 1888年11月16日
大日本帝国の旗 大日本帝国 広島県
死没 (1969-08-16) 1969年8月16日(80歳没)
日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911 - 1945
最終階級 陸軍中将
指揮 第15軍司令官
第54師団
歩兵第5旅団長
中支那碇泊場監
戦闘 日中戦争
第二次世界大戦
*ビルマの戦い
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片村 四八(かたむら しはち、1888年11月16日 - 1969年8月16日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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広島県出身。片村武八郎の三男として生れる。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉任官、歩兵第41連隊付となる。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業。

歩兵第41連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員、陸大教官、歩兵第73連隊大隊長、陸軍運輸部員などを経て、1931年(昭和6年)8月、第12師団参謀となった。翌年2月、混成第24旅団参謀となり、関東軍交通部員、陸軍運輸部員、第11師団参謀長などを歴任。1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し中支那碇泊場監となる。

1940年(昭和15年)3月、歩兵第5旅団長となり満州に駐屯。1941年(昭和16年)8月、陸軍中将に進み第54師団長に親補された。ビルマの戦いに従軍。1944年(昭和19年)9月、第15軍司令官に就任し、インパール作戦後の戦力の再建に努力した。その後、第15軍は第18方面軍に編入されタイに移動し、ランパンにおいて終戦を迎えた。1946年(昭和21年)3月に復員

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。