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牛田八幡社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牛田八幡社

南の鳥居
所在地 愛知県知立市牛田町宮本14
位置 北緯35度00分3.2秒 東経137度04分7.6秒 / 北緯35.000889度 東経137.068778度 / 35.000889; 137.068778 (牛田八幡社)座標: 北緯35度00分3.2秒 東経137度04分7.6秒 / 北緯35.000889度 東経137.068778度 / 35.000889; 137.068778 (牛田八幡社)
主祭神 誉田別尊
社格 旧村社
本殿の様式 一間社流造
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牛田八幡社(うしだはちまんしゃ)は、愛知県知立市牛田町宮本14にある神社社格は旧村社。

覆殿と拝殿の間に中殿を設ける社殿配置は極めて珍しいとされる[1]。本殿、覆殿、中殿及び袖廊、拝殿が登録有形文化財[1]

祭神

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歴史

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鎌倉時代の建久年間(1190年-1199年)、源頼朝目代猿渡川の南側に城を築いた際、現在地に鎌倉鶴岡八幡宮から勧請して祀ったのが起源とされる[2]

元禄8年(1695年)には泉蔵寺の住職が八幡大菩薩像を神殿に安置し、牛田八幡社は泉蔵寺の守護神という扱いだった[3]

かつての三河国碧海郡牛田村にある。隣接する来迎寺村には寛政年間(1789年-1801年)まで村社は存在せず、牛田八幡社を氏神として祀っていたが、その後来迎寺を氏神にしたとされる[4]

境内

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東海道の南側に位置する。境内の南側から順に、拝殿、中殿及び袖廊、本殿と本殿を覆う覆殿が一列に並んでいる[1]。中殿及び袖廊、覆殿を築地塀が囲んでいる[1]

  • 本殿 - 江戸時代中期竣工[1]。一間社流造杮葺[1]。松と鶴の彫刻を有する[1]知立市最古の神社本殿[1]
  • 覆殿 - 安政3年(1856年)竣工[1]。三間社入母屋造、桟瓦葺[1]。平入、一間向拝付[1]西三河地方の神社には本殿を風雨から守る覆殿が多いとされるが、本殿形式の覆殿は珍しいとされる[1]
  • 中殿 - 1909年(明治42年)竣工[1]。入母屋造、妻入、桟瓦葺[1]。桁行三間、梁間一間[1]。正面の東側に波と龍、西側に竹と虎の彫刻を有する[1]。両脇には神饌所と神具庫を備える袖廊を有する[1]。覆殿と拝殿の間に中殿を有する配置は極めて珍しいとされる[1]
  • 拝殿(神楽殿) - 1882年(明治15年)竣工[1]。入母屋造、桟瓦葺[1]。平入[1]。桁行三間、梁間三間[1]。正面と側面には竹や牡丹と獅子の彫刻、正面中央の虹梁には雲と双龍の彫刻を有する[1]
  • 築地塀 - 文久3年(1863年)竣工[1]
  • 手水舎 - 1899年(明治32年)竣工[1]
  • 社務所 - 1926年(大正15年)竣工[1]

摂末社

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文化財

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登録有形文化財

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  • 本殿 - 2024年(令和6年)3月6日登録[5]
  • 覆殿 - 2024年(令和6年)3月6日登録[6]
  • 中殿及び袖廊 - 2024年(令和6年)3月6日登録[7]
  • 拝殿 - 2024年(令和6年)3月6日登録[8]

年中行事

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  • 1月 新年祭
  • 3月 祈年祭
  • 5月 清霊社祭
  • 7月 新年祭
  • 10月 例大祭
  • 12月 新嘗祭
  • 12月31日 厄払祈願祭

現地情報

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所在地
交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 牛田八幡社が国の登録有形文化財(建造物)になりました 知立市
  2. ^ a b c d e f g h 看板「牛田八幡社社記」牛田八幡社、1995年10月
  3. ^ 知立市史編纂委員会『知立市史 下巻』知立市、1979年、p.311
  4. ^ 『牛田村の歴史と西教寺』西教寺、1983年、pp.36-37
  5. ^ 牛田八幡社本殿 文化遺産オンライン
  6. ^ 牛田八幡社覆殿 文化遺産オンライン
  7. ^ 牛田八幡社中殿及び袖廊 文化遺産オンライン
  8. ^ 牛田八幡社拝殿 文化遺産オンライン

外部リンク

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