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牧野エミ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牧野恵美から転送)
まきの えみ
牧野 エミ
本名 牧野 恵美
生年月日 (1959-10-26) 1959年10月26日
没年月日 (2012-11-17) 2012年11月17日(53歳没)
出生地 日本の旗 日本大阪府
兵庫県尼崎市育ち)
血液型 A型
職業 女優
タレント
振付師
ジャンル テレビ
舞台
活動期間 1981年[要出典] - 2012年
著名な家族 牧野洋子(姉・元宝塚歌劇団講師、現在は「スタジオYOKO」代表)[1]
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牧野 エミ(まきの えみ、1959年昭和34年〉10月26日[2][注釈 1] - 2012年平成24年〉11月17日)は、日本女優タレント振付師1985年(昭和60年)に演劇ユニット「売名行為」を立原啓裕升毅と結成し、以後2000年代にかけての人気・活躍ぶりから「関西が生んだ稀代のコメディエンヌ(コメディ女優)」と呼ばれた[3]

略歴

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大阪府生まれ、兵庫県尼崎市育ち。尼崎市立尼崎東高等学校卒業[4]

大阪芸術大学芸術学部に在学中、一般参加者としてテレビのクイズ番組クイズDEデート』(関西テレビで放送されていた公開収録番組)へ出演。この出演をきっかけに、当時のスタッフの勧めで、アルバイトながら同番組にブレーン(クイズの出題担当)や収録の前説役として参加するようになった。

1985年昭和60年)に立原啓裕升毅と演劇ユニット「売名行為」を結成(妹尾和夫の発意)。関西の演劇シーンを中心に人気を博した。また、売名行為を解散した1991年平成3年)には、升毅・佐々木保典G2劇団MOTHERを結成。看板女優兼振付師として活動し、女優として妖艶な役から老婆までこなしていた。

2001年(平成13年)のMOTHER解散後は、他の劇団・プロデュース公演で舞台を中心に活動。2008年(平成20年)には、楠見薫中道裕子と、演劇ユニット「タニマチ金魚」を結成した。

また、上記の活動のかたわら、ABCラジオを中心に数々のラジオ番組でパーソナリティを務めていた。2009年(平成21年)7月からは、『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』(平日午前中の生ワイド番組、以下『ドキハキ』と略記)の水曜日で三代澤のパートナーを担当。南明奈の愛称「アッキーナ」にちなんだ「マッキーナ」の愛称で親しまれた。

2012年(平成24年)11月17日に肝臓がんのため急逝、享年53[5]

才能を惜しまれつつ世を去った業績を記念し、2017年(平成29年)から毎年「牧野エミに比肩するようなスタイリッシュで面白いコメディエンヌ」にエミィ賞グランプリが贈られている。

人物

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大阪近鉄バファローズをはじめとするプロ野球の大ファンで、地元球団の阪神タイガースはもとより、日本プロ野球の他球団の選手(特に若手)や日本人メジャーリーガーに関する情報にも詳しい。プロ野球シーズン中の『ドキハキ』では、直近の試合で活躍した選手をテーマに、自作のラップをたびたび披露。ABCラジオのナイターオフ番組『歌謡大全集』で日替わりパーソナリティを務めていた時期には、「1分間タイガース」というコーナーで、阪神タイガースの動向を自分流に紹介していた。ちなみに金子哲雄(流通ジャーナリスト)は、牧野が『ドキハキ』の放送中に彼の口調を真似たことをきっかけに、2010年(平成22年)11月から2012年(平成24年)7月まで同番組の準レギュラーを務めていた[注釈 2]

その一方で、初期段階の乳がんを患った経験から、ピンクリボン運動や乳がん予防関連のイベント・トークショーにも積極的に参加。マンモグラフィーによる乳がん検査を受けていたにもかかわらず、検査先の技術の不備でがん細胞をただちに発見できなかったことから、検査体制の整った医療機関での受診を強く訴えてきた。また、乳がん発症後にレギュラーを務めた『ドキハキ』『歌謡大全集』でも、上記の趣旨で「ピンクなエミ」というコーナーを月に1回放送していた。

2011年(平成23年)6月29日の『ドキハキ』では、「ピンクなエミ」を放送中に、がん細胞が肝臓など数か所に転移していることを告白した。同番組には、告白後も2012年(平成24年)11月14日の放送分まで出演。同月18日には、「ABCラジオまつり」(毎年春・秋に万博公園で開催されるABCラジオのイベント)への出演を予定していた。しかし、『ドキハキ』の出演翌日(11月15日)に体調を崩して入院。17日の午前10時2分に、肝臓がんのため入院先の病院で死去した[6][注釈 3]。53歳没。戒名は,麗光院優心妙恵大姉[7]。実姉でバレエスタジオを営む牧野洋子によると、葬儀が行われた大林寺会館兵庫県宝塚市)には、創設以来最多の供花数だったという[8]

にタレントでイリュージョニストの牧野舞(牧野洋子の娘)がいる。牧野最後の愛車となったメルセデス・ベンツのGクラス500ロングは、親友である升毅が形見分けとして受け継ぎ、2021年(令和3年)現在も乗用している。

出演

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映画

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テレビドラマ

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テレビバラエティ

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ラジオ番組

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連載

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脚注

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注釈

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  1. ^ 出典では生年が1962年になっている。
  2. ^ 金子は2012年10月2日に41歳で急逝。『ドキハキ』で金子の訃報(同月3日)および牧野の訃報(11月18日)を伝えた際には、このエピソードを裏付ける過去の放送音源が流された。
  3. ^ 奇しくも、ABCラジオで最初に牧野の訃報を伝えたのは、桑原征平(牧野の出身大学・学部の現役教授、関西テレビのアナウンサー時代に『クイズDEデート』でサブ司会、『走れ!ガリバーくん』で牧野と一緒にナレーターを担当)がパーソナリティを務める生ワイド番組『征平・吉弥の土曜も全開!!』であった。

出典

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  1. ^ 牧野洋子プロフィール”. スタジオYOKO. 2015年10月11日閲覧。
  2. ^ a b c d DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、139頁。
  3. ^ エミィ賞グランプリ2020年令和2年)ポスター”. エミィ賞グランプリ. 2020年11月16日閲覧。
  4. ^ “「エミちゃん祭り最新情報」”. 尼崎市立尼崎東高等学校同窓会(15期生 鬼崎資久). (2013年11月13日). https://9010.teacup.com/ahkd/bbs/358 2020年11月16日閲覧。 
  5. ^ “女優の牧野エミさん死去”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2012年11月17日). https://www.asahi.com/obituaries/intro/OSK201211170148.html?ref=twitter 2020年11月16日閲覧。 
  6. ^ “女優の牧野エミさん死去 舞台、ラジオ番組で活躍”. スポニチ Sponichi Annex. (2012年11月17日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/11/17/kiji/K20121117004576960.html 2017年5月18日閲覧。 
  7. ^ 牧野舞 (2012年11月17日). “最期のご挨拶”. 牧野エミ発 Sekilala-mode. アメーバブログ. 2015年10月11日閲覧。
  8. ^ 牧野洋子 (2012年11月21日). “牧野エミの葬儀を終えて…。”. スタジオYOKOブログ. スタジオYOKO. 2015年10月11日閲覧。
  9. ^ “関西の実力派女優・牧野エミさん急逝”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2012年11月17日). https://web.archive.org/web/20121117142833/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121117/ent12111719420007-n1.htm 2012年11月19日閲覧。 

外部リンク

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