コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

コザ琉映

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コザ琉映
Koza Ryuei
情報
正式名称 コザ琉映館[1]
完成 1960年
開館 1960年7月
閉館 2016年7月31日
客席数 1階192席・2階84席
用途 映画上映
運営 株式会社ゼネラルエステイト(指定管理者)[1]
所在地 904-0011
沖縄県沖縄市照屋1丁目7-2
位置 北緯26度20分17.4秒 東経127度48分49.6秒 / 北緯26.338167度 東経127.813778度 / 26.338167; 127.813778 (コザ琉映)座標: 北緯26度20分17.4秒 東経127度48分49.6秒 / 北緯26.338167度 東経127.813778度 / 26.338167; 127.813778 (コザ琉映)
最寄バス停 琉球バス交通沖縄バス東陽バス「コザ」停留所
テンプレートを表示

コザ琉映(コザりゅうえい)は、かつて沖縄県沖縄市(旧コザ市)照屋1丁目7-2にあった映画館コザ琉映館(コザりゅうえいかん)とも呼ばれた。

歴史

[編集]

アメリカ統治時代

[編集]

1960年(昭和35年)7月[2]、比嘉良実が当時コザ市の商工会理事を務めていた金城正春と共にコザ琉映館を設立[3][4]。当時のコザ市内としては最後に開館した映画館であった[2]。開業当初は第二東映の専門館だったが[2]、その後は各社の邦画を中心に上映。1970年代以降はピンク映画へとシフトしていくようになる[2][3]

日本返還後

[編集]

1972年(昭和47年)5月15日、20年間アメリカ合衆国の施政権下に置かれていた沖縄県が日本に返還。1974年(昭和49年)4月1日、隣接した美里村との合併により沖縄市が発足したが、これに伴う館名変更は行われなかった。

2010年代に入り、映画業界は本格的なデジタルシネマ時代に突入。沖縄県内の既存映画館が相次いでデジタル上映へと移行していったが、コザ琉映は35mmフィルム映写機のみ設置しており、フィルム映画の上映に特化して営業していた[5]。なお、コザ琉映の再生を目指した銀天街方面のまちづくり計画が、2014年(平成26年)7月23日の沖縄タイムスで報じられたが[2]、結局実現することはなかった[1]

開業から半世紀以上を経て老朽化が進んだこともあり、2016年(平成28年)7月31日[1]をもって閉館。建物は1年後に解体され更地となった[5][6]。56年間営業を続けた当館の閉館により、沖縄市内の映画館はすべて姿を消したが、2019年(令和元年)にはシネマプラザハウス1954が開館して沖縄市に映画館が復活している。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d コザ琉映館閉館「寂しい」惜別の声」『琉球新報』琉球新報社、2016年7月21日、30面。2022年8月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e 成人映画館「コザ琉映」に潜入”. DEEOkinawa (2014年8月22日). 2016年7月2日閲覧。
  3. ^ a b “フィルム映画の灯、沖縄からまた一つ…「コザ琉映」56年の歴史に幕へ”. 沖縄タイムス. (2016年7月22日). http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/54604 2016年8月1日閲覧。 
  4. ^ 沖縄中部にあった映画館 PAGE.5(1960年 - 1972年)”. キネマ探偵団. シネマラボ. 2016年8月1日閲覧。
  5. ^ a b “さよならコザ琉映 31日閉館”. 琉球新報. (2016年7月21日). http://ryukyushimpo.jp/news/entry-320270.html 2016年7月22日閲覧。 
  6. ^ “フィルム専門館の灯消える コザ琉映館、56年の歴史に幕”. 琉球新報. (2016年7月31日). http://ryukyushimpo.jp/news/entry-327004.html 2016年8月1日閲覧。 

外部リンク

[編集]