広田宗
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ひろた そう 廣田 宗 | |
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生誕 |
1909年10月20日 日本 大分県 |
死没 |
1986年11月29日(77歳没) 東京都多摩市 |
職業 | 実業家 |
栄誉 |
勲二等瑞宝章(1980年)[1] 従三位勲一等瑞宝章(没後追贈)[2] |
廣田 宗(ひろた そう、1909年(明治40年)10月20日[3] - 1986年(昭和61年)11月29日)は、日本の実業家。小田急電鉄社長、日本民営鉄道協会会長等を務めた。
来歴・人物
[編集]大分県出身[3]。1932年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業後、三菱銀行入行[3]。
四日市、熱田各支店長を経て、本店営業部長、審査第二部長、福岡支店長、取締役、審査第一部長を歴任[3]。
小田急に迎えられる
[編集]1963年にその人格・識見を見込んだ小田急電鉄社長の安藤楢六が、当時の三菱銀行頭取だった宇佐美洵に懇請し[4]、小田急グループに迎えられ、小田急百貨店専務に就任[5]。
1964年、小田急電鉄に転じ取締役、翌年専務、1969年社長[4]。
1981年には会長に退き、ホテル小田急社長を兼務した。同社社長時代には、ホテルセンチュリーハイアットの特別の客室階「リージェンシークラブフロア」の拡大や、女性スタッフによる飲み物の提供、各種案内サービスを開始し、1984年に開業したヒルトン東京に対抗した[6]。1985年、ホテル業界の競争激化にともない、専任の社長を設けるため、会長に退く[7]。
1981年から1983年まで日本民営鉄道協会会長を務め、運賃値上げ問題に取り組んだ。また、総理府観光政策審議会委員、相模鉄道取締役、財団法人安藤記念奨学財団初代理事長等も務めた[8]。
小田急電鉄会長在任中の1986年11月29日、東京都多摩市桜ヶ丘の自宅で死去。享年77[9]。
脚注
[編集]- ^ 小田急五十年史 1980, p. 478.
- ^ 小田急電鉄(株)『小田急75年史』(2003.03)
- ^ a b c d 現代財界家系譜 第4巻 1970, p. 396.
- ^ a b 小田急五十年史 1980, p. 473.
- ^ 『日経産業新聞』1985年7月20日
- ^ 『日経産業新聞』1984年4月11日
- ^ 『日経産業新聞』1985年4月18日
- ^ 『日本経済新聞』1982年3月26日
- ^ 『日本経済新聞』1986年11月30日
参考文献
[編集]- 『現代財界家系譜』第4巻 現代名士家系譜刊行会、1970年。
- 小田急電鉄株式会社『小田急五十年史』小田急電鉄、1980年12月。
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