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広田宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ひろた そう

廣田 宗
生誕 1909年10月20日
日本の旗 日本 大分県
死没 (1986-11-29) 1986年11月29日(77歳没)
東京都多摩市
職業 実業家
栄誉 勲二等瑞宝章(1980年)[1]
従三位勲一等瑞宝章(没後追贈)[2]
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廣田 宗(ひろた そう、1909年(明治40年)10月20日[3] - 1986年(昭和61年)11月29日)は、日本実業家小田急電鉄社長、日本民営鉄道協会会長等を務めた。

来歴・人物

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大分県出身[3]1932年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業後、三菱銀行入行[3]

四日市、熱田各支店長を経て、本店営業部長、審査第二部長、福岡支店長、取締役、審査第一部長を歴任[3]

小田急に迎えられる

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1963年にその人格・識見を見込んだ小田急電鉄社長の安藤楢六が、当時の三菱銀行頭取だった宇佐美洵に懇請し[4]小田急グループに迎えられ、小田急百貨店専務に就任[5]

1964年、小田急電鉄に転じ取締役、翌年専務、1969年社長[4]

1981年には会長に退き、ホテル小田急社長を兼務した。同社社長時代には、ホテルセンチュリーハイアットの特別の客室階「リージェンシークラブフロア」の拡大や、女性スタッフによる飲み物の提供、各種案内サービスを開始し、1984年に開業したヒルトン東京に対抗した[6]1985年、ホテル業界の競争激化にともない、専任の社長を設けるため、会長に退く[7]

1981年から1983年まで日本民営鉄道協会会長を務め、運賃値上げ問題に取り組んだ。また、総理府観光政策審議会委員、相模鉄道取締役、財団法人安藤記念奨学財団初代理事長等も務めた[8]

小田急電鉄会長在任中の1986年11月29日、東京都多摩市桜ヶ丘の自宅で死去。享年77[9]

脚注

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  1. ^ 小田急五十年史 1980, p. 478.
  2. ^ 小田急電鉄(株)『小田急75年史』(2003.03)
  3. ^ a b c d 現代財界家系譜 第4巻 1970, p. 396.
  4. ^ a b 小田急五十年史 1980, p. 473.
  5. ^ 『日経産業新聞』1985年7月20日
  6. ^ 『日経産業新聞』1984年4月11日
  7. ^ 『日経産業新聞』1985年4月18日
  8. ^ 『日本経済新聞』1982年3月26日
  9. ^ 『日本経済新聞』1986年11月30日

参考文献

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  • 『現代財界家系譜』第4巻 現代名士家系譜刊行会、1970年。
  • 小田急電鉄株式会社『小田急五十年史』小田急電鉄、1980年12月。
先代
安藤楢六
小田急電鉄社長
第2代:1969年 - 1981年
次代
利光達三
先代
川勝傳
日本民営鉄道協会会長
1981年 - 1983年
次代
柴谷貞雄