吉良元夫
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吉良 元夫(きら もとお、1867年10月18日(慶応3年9月21日[1])- 1938年(昭和13年)10月15日[2])は、明治から昭和前期の醸造家、政治家。衆議院議員、大分県大野郡上井田村長。号・淡遠[3]。
経歴
[編集]豊後国大野郡上尾塚村(大分県[2]大野郡上井田村[4]上尾塚[3]、朝地村、朝地町を経て現豊後大野市朝地町上尾塚)で、酒造業・吉良圭蔵の長男として生まれる[5]。竹田町の寺井塾で漢学を修めた[3]。その後、上京して神田共立学校(現開成中学校・高等学校)[4]、三田英語塾(慶應義塾)で学び[4][3]、哲学館(現東洋大学)を卒業した[2][4]。
帰郷して家業の酒造業、醤油醸造業を営む[2][3]。大野郡酒屋組合長、両豊銀行監査役も務めた[2][4]。日露戦争では豊州新報記者として従軍した[2][4][3]。
政界では、上井田村会議員、同村長に在任[2][3]。大分県会議員に選出され[4][3]、同参事会員も務めた[2]。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙(大分県第4区、立憲政友会公認)で初当選[3][6]。1924年(大正13年)5月の第15回総選挙(大分県県第4区、政友本党公認)でも再選され[3][7]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。その間、運輸通信の分野を中心に活動した[3]。
1927年(昭和2年)には、議会乱闘事件に関与したとして公務執行妨害、文書毀棄の容疑で起訴。同年12月16日に禁錮二か月、執行猶予1年の判決を受けている[8]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、32頁。
- ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆院議員名鑑』218頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『大分県歴史人物事典』181頁。
- ^ a b c d e f g 『新代議士名鑑』465頁。
- ^ 『人事興信録 第9版』キ75頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』28頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』32頁。
- ^ 暴行十代議士に有罪判決『東京日日新聞』昭和2年12月17日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p240 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
参考文献
[編集]- 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第15回』衆議院事務局、1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。