行弘寺
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行弘寺 | |
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所在地 | 埼玉県さいたま市南区太田窪2310 |
位置 | 北緯35度51分7.5秒 東経139度41分2.5秒 / 北緯35.852083度 東経139.684028度座標: 北緯35度51分7.5秒 東経139度41分2.5秒 / 北緯35.852083度 東経139.684028度 |
山号 | 龍燈山 |
宗派 | 天台寺門宗 |
創建年 | 大同2年(807年) |
別称 | 善前不動 |
札所等 | 足立百不動 第100番 |
文化財 | 足立百不動尊供養塔(さいたま市指定有形文化財)、行弘寺のツバキ(さいたま市指定天然記念物) |
法人番号 | 6030005000037 |
行弘寺(ぎょうこうじ)は、埼玉県さいたま市南区にある天台寺門宗の寺院。
歴史
[編集]807年(大同2年)に開山された。現在の所属宗派は天台寺門宗であるが、江戸時代までは修験道本山派の寺院であり、武蔵国足立郡中尾村(現・さいたま市緑区中尾)にあった「玉林院」の末寺であった[1][2]。
1968年(昭和43年)、不動堂が焼失したが、この不動堂は旧玉林院の本堂を移築したものといわれている[3]。
境内には、「星野順栄の寿碑」と呼ばれる筆塚がある。星野順栄とは当寺の住職であり、寺子屋の師匠でもあった。順栄存命中[4]の1893年(明治26年)に教え子によって建てられたものである[3]。
玉林院について
[編集]玉林院(ぎょくりんいん)は、武蔵国足立郡中尾村(現・さいたま市緑区中尾)にあった修験道本山派の寺院[2]。
790年(延暦9年)、黒珍によって開山された。江戸時代は20~30か寺の末寺を擁していたという。1874年(明治7年)、神仏分離政策により廃寺となった[2]。
現在、跡地には学校法人饗庭学園の幼稚園「あかつき幼稚園」が建てられている[2]。
文化財
[編集]交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 青木義脩、丹治健蔵 著『埼玉ふるさと散歩(浦和市・与野市)』さきたま出版会、1992年